窮地の国産「和紙原料」から誕生した菓子の正体 お菓子とお茶で地元産の楮(こうぞ)を支援

[Publisher] 東洋経済新報社

この記事は、東洋経済新報社『東洋経済オンライン/執筆:河野 博子』(初出日:2024年1月22日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。

小川町和紙体験学習センターの中庭で、楮の皮を干す研修員の中野晴実さん(右)と内田茜さん(撮影:河野博子)

手すき和紙作りでは、真冬の11~2月に楮(こうぞ)を刈り取り、蒸してから皮をむき、乾かすなど手すき作業に向けた準備を進める。楮は全国的に生産量が激減し、各地で「地楮(地元産の楮)」作りに注目が集まるが、楮畑が広がるには課題が山積。そこで、和紙の里・埼玉県小川町では、地元の観光業者と大学が手を組み、楮の新芽を使ったお茶とお菓子を開発した。「地楮」作りの拡大につながるのだろうか。

スカイツリーの下で、お茶とお菓子を売り出すイベント

楮は高さ2~3メートルの低木で、冬に直径2センチほどの木を刈り取る。横から枝が出ていない太くてまっすぐな木になるよう、夏に行う作業を「芽かき」という。ここで摘んだ新芽を使ったお菓子が昨年秋に開発された。

お披露目のイベントが1月20日、東京・墨田区のスカイツリータウン地下3階で開かれた。地元の観光・まちづくり会社「おいでなせえ」のスタッフと、ともに新しい観光プログラムに取り組む立教大学観光学部の西川亮准教授と学生たちがお菓子や和紙をアピールした。

イベントで新作菓子と和紙をアピール(撮影:河野博子)

土曜日のスカイツリーは、親子連れやカップルで賑わう。テーブルの上には、売り出し中のガレット(厚焼きクッキー)を一口サイズに切って入れたケースが置かれ、通りがかった人につまんでもらった。千葉県我孫子市から来た男性と近くに住む女性のカップルは、口に放り込み、顔を見合わせて、「おいしい」。

私も食べてみた。正直、味はふつう。「おいでなせえ」の担当者、五十嵐康博さんは、「確かに、特徴が強くある味ではないんですよ。でも、栄養成分調査をしたところ、新芽は非常に栄養価が優れていることがわかったんです」。日本食品機能分析研究所(福岡県)による調査で、ホウレンソウに含まれる栄養素に比べ、カルシウムは約5倍、ポリフェノールとタンパク質はそれぞれ約3倍含まれていることがわかったという。

スカイツリーに来た人に声をかけ、試食してもらった(撮影:河野博子)

実は五十嵐さんと西川研究室は、夏に採れる楮の葉っぱを天ぷらにしたり、木の芯をおみくじの棒にしてみたり、いろいろと試してきた。

なぜなのか。楮の原木のうち、和紙の原料として使われるのは、樹皮の部分だけ。原木全体からみると、約15%とされる。和紙原料として使われない部分の用途を見つけ、需要を掘り起こせば楮づくりが盛んになるのではないか。五十嵐さんと西川准教授は、そう考えた。

ガレットは1つ160円。原料の新芽は、町が年250万円の補助金を出して埼玉県小川和紙工業協同組合が育てている楮畑から提供を受けた。「どういう仕組みを作ればいいのか。売れるかどうかを見ながら、これから町と相談して考えていきます」(五十嵐さん)という。

ユネスコ無形文化遺産に指定された細川紙の製作技術

埼玉県小川町の小川町和紙体験学習センターの裏庭に、なんともいい香りが漂ってきた。最初は草の香り、そのうち芋をふかしたような香りがフワーっと。「かしき開け」「釜開け」というそうだ。90㎝の長さに切りそろえた楮を釜に入れ、2~3時間蒸す。釜から出して、熱いうちに皮をむく作業を行う。

1月28日の日曜日に行われた細川紙技術者協会(内村久子会長、正会員8人)の作業で、研修員を含め15人ほどが集まった。細川紙はもともと、紀伊高野山のふもとの細川村ですかれていたものだが、埼玉県の比企、秩父地方でも作られた。埼玉県小川町と東秩父村に伝わる細川紙の製作技術は、1978年に国の重要無形文化財、2014年にユネスコの無形文化遺産に指定された。国産の楮を使うことが指定の要件になっている。

細川紙の場合、原木の楮のうち、白い皮だけを使う。使う部分は、原木の3%にすぎない。28日はみなで車座になって楮の皮をむき、一番外の黒皮をほぼ取り除いて外に並べて干した。後日、さらに一番内側の白皮だけを取り出す作業に移る。

「光沢があって強靭で、品がある」。細川紙の魅力について、内村会長はそう語る。埼玉県内から小川町に越してきた40歳代のころ、1995年に町が始めた手すき和紙後継者育成事業の第一期生となった。

楮が蒸しあがった(撮影:河野博子)

「それまでは主婦でしたが、地場産業に興味がありました。会社勤めで定年があって仕事が終わるよ、というのではなく、一生できる仕事につきたかった」と内村さんは振り返る。今は東秩父村の工房で版画や書道の用紙を作り、技術者協会会長として後継の育成にあたる。

「地楮を増やしたい」と細川紙技術者協会

小川町には細川紙技術者協会とは別に、埼玉県小川和紙工業協同組合があり、ここでは畑を借りて楮を作っている。生産量は、実質2か所の畑で、年約300キロ(黒皮がついた状態に換算した値)。内村会長をはじめ技術者協会の正会員はその楮を購入しているほか、国内の高知県などから楮を調達している。

一方、技術者協会の技術者研修事業に使う楮は、事務局の保田義治さんによると、「来年度の予算ベースで、和紙工業協同組合から買う地楮は14キロ、高知県から買う分は120キロ」と、地元産の楮はごくわずかだ。協会でも畑を借りて楮を作っているが、最近、土壌改良を行った関係で、生産量が安定していない。

車座になり、まだ熱い楮の皮をむく作業を行う(撮影:河野博子)

頼みの綱の高知の楮も、作り手の高齢化により、ずっと供給してもらえるかどうかわからない。「協会としては、地元産の楮で細川紙を作り、研修事業も行えればベストと思っています。少しずつ、地楮を増やしていきたい」(内村会長)としているが、簡単ではない。

国内産楮の生産は、全国で激減

重要無形文化財指定との関係で、国内産の楮を使わなくてはいけない細川紙は別にして、日本各地の手すき和紙は、輸入にも頼ってきた。かつては、中国、タイ、南米などから輸入していた。しかし、全国手すき和紙連合会の事務局、山下泰央(やすたか)さんは「南米やフィリピンからの輸入はなくなりました。現地でコーディネートしていた人が廃業したなどが理由です」と、輸入による供給も不安定と明かす。

全国手すき和紙連合会は、38団体からなる。「個々の団体や個々の工房で楮づくりをやられているが、数量など実態は把握できていない」(山下さん)という。

日本特産農産物協会の資料から作成したグラフをみると、楮の国内収穫量(黒皮換算という方法で集計)は、激減。60年ほど前の1965年には3170トンだった楮の国内収穫量は、ここ5年ほどはその1%ほどの量で低迷している。

細川紙技術者協会が「研修用の楮の地楮率を高めたい」という背景には、国内産の楮が減るなか、とにかく地元で楮を確保しなければ技術の伝承ができない、という危機感がある。取材に同席した小川町教育委員会の担当者は「人手と場所と、やっぱりお金ですよね」とため息をついた。

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小川町飯田にある楮畑で、やはり1月28日、楮の刈り取りが行われた。集まったのは、アメリカ人の版画家で和紙アーティスト、故リチャード・フレイビンさんの遺志を継ぐ人々と、小川町里山クラブ“You-You”(佐藤章会長)のメンバーら計15人。

故フレイビンさんが作った楮畑で今年も刈り取り作業が行われた(撮影:河野博子)

フレイビンさんは30年ほど前に佐藤会長の畑を借りて楮の株を植え、里山クラブのメンバーの助けを借りて楮作りを行った。2020年5月に76歳で逝去。妻のテキスタイルデザイナー、原口良子さんは、「フレイビンは、版画に使う和紙に興味を持ち、感動して和紙の生産地を訪ね歩きました。小川町に移住し、小川町和紙体験学習センターに通って勉強しました。そして、自分で作った和紙で版画をやりたいと、楮作りを始めたのです」と話した。

手すき和紙の魅力を「植物がそのまま生きている」と語っていたフレイビンさんの遺志を継ぎ、書道家の宍戸幸司さんや和紙研究家のカナダ人、ポール・デンホードさんらが毎年、ここで楮を刈り取り、和紙を作り続けている。

里山クラブのメンバーも引き続き、ボランティアで夏の芽かき、冬の刈り取り作業を手伝う。佐藤会長は「小川町は和紙の里というけど、材料の楮を作る畑がほとんどない、とフレイビンに言われたことが、すべての始まりでした」とあいさつし、楮を作り始めたフレイビンさんをたたえた。

細川紙技術者協会の研修員、細川紙の未来を「どうにかしなきゃ」

細川紙技術者協会では、7人の研修員が技術を学んでいる。和紙を取り巻く状況は厳しいようだ。

中野晴実さんは、「いまはペーパーレスの時代。こだわりがある人は和紙を買ってくれるけど、昔のように障子紙に使ったり、ふすまの下張りに使ったりなど、建築の際に使われることが少なくなってきている。そういう用途が少なくなってきているのも、難しさの一つ」と語った。

確かに、私が育った昭和の時代には、身近に障子やふすまがあった。今、マンションの我が家には、ふすまも障子もない。こうした需要の動向は、当然、和紙産業全体に影響する。

一方、手すき和紙の産地の中には、壁紙や内装に使うための和紙を開発する動きもあるそうだ。中野さんは、「もしかしたら、今まで気づいていない分野で新たな使い道があるかも」と話す。内田茜さんは、「私たちは気持ちだけは明るい。どうにかしなきゃ、という気持ちは皆もっているので、チャンスはあるのかな」と応じ、2人の研修員は笑顔を見せた。

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