「開発好奇心集団」を掲げ、エレクトロニクス技術を核とした多種多様な製品開発で名をはせる株式会社レクザム。マザーファクトリーを香川県高松市に構え、印象的なテレビCMや県内の主要公共建物のネーミングライツを獲得していることもあり、県内での知名度は抜群です。
同社の特徴は、何と言ってもその自由闊達(かったつ)な事業展開にあります。主力製品である電子制御器や医療機器、半導体製造装置関連機器、自動車部品などに始まり、プロにも愛用されるスキーブーツの開発や、香川の地ビールの製造まで、まさに「開発好奇心集団」の名にふさわしく、幅広いフィールドに進出しています。今回は同社の香川工場を訪ね、そのチャレンジスピリットにあふれた歴史と、これからの展望、地域活性化にかける思いなどについて、取締役副社長 生産本部長の住田 博幸氏にお話を伺いました。聞き手は、オリックス高松支店の尾形 洸亮が務めます。
まさに、ゼロからのスタート。エレクトロニクス事業の原点は、創業者の決意の一声から
――はじめに、御社のこれまでの歩みについてお聞かせください。なぜ高松に生産拠点を設けるに至ったのでしょうか。
住田氏:ここ高松は、創業社長である岡野 馨の出身地です。岡野はレクザムの前身となる「隆祥産業株式会社」を1960年に大阪で立ち上げました。当時は合成樹脂材料等の卸業を展開していました。しかし、卸業だけでは未来に向けた成長力に乏しいと判断した岡野は、メーカーとして歩み始めることを決意したのです。そこで金属加工業からスタートし、1968年には自身の故郷であるこの地に新工場を開設して、自動車部品などのプレス製造を開始しました。
私が入社したのは、その3年後です。高専で電子工学を学び、卒業後は地元百貨店に就職して、中央監視盤室という部署に2年半ほど勤務しました。その後、臨時的に家業であるホテルの経営を手伝っていたんです。その際、岡野が食事に来店して、「これからは電子の時代になる。世界最先端の半導体基地であるシリコンバレーに視察に行くから、一緒に来ないか?」と誘われたんですね。私が高専で電気工学を学んだことを知って、「こいつは使えるかもしれない」と思ったんでしょう。私もタダでアメリカにまで連れて行ってもらえるのなら面白そうだと思ってついていき、自分の卒業研究のテーマとも一致するシリコンバレーの台頭を目の当たりにして非常に刺激を受けましたね。
帰国後、岡野から思いがけず採用通知をもらいました。「エレクトロニクス事業を始めたいが、うちには電子分野の分かる技術者が一人もいない。住田君に何とかしてほしい」と。私も自身の学んできたことを生かせる仕事に巡り合ったという気持ちで引き受けることになったんです。今考えても不思議な巡り合わせですよね。
――半世紀前のその出会いがなければ、今日のレクザムの成功はなかったわけですね。その後、どのようにエレクトロニクス事業が成長していったのでしょうか。
住田氏:岡野には当時「何にでも挑戦していいから電子を応用した製品を開発して儲けてほしい」と言われていました。とはいえ、電子に関わる技術者は社内に私一人。相談相手もおらず、開発から製造まで全部自分一人で考えないといけません。そこで特許公報の閲覧に没頭して、最新技術と世の中のトレンドを日々勉強し、あとは試行錯誤の繰り返しです。最初に形になったのは、水処理機器メーカーからの依頼で開発した水質コントローラです。試行錯誤をしながら、半年余りかけて製品化に成功し、その後に蒸気式ボイラーのトランジスタを使ったオール電子式コントローラを業界に先駆けて開発しました。
それをきっかけに、電子コントローラ関連の設計・製造の仕事を受注することが叶い、少しずつ社内にノウハウも蓄積され、またそれに伴い毎週水曜日に電子関連の勉強会の講師を務めて、徐々にエンジニアを育てました。1985年には医療機器の分野にも進出し、眼の屈折力を測る検眼機の開発に挑戦したのですが、今までに全く経験のない光学技術が必要不可欠なので、本来は電気(電子)しか知らないエンジニアにイチから勉強してもらいました。このときも大変な苦労の連続でした。それでも完成までこぎつけることができたのは、ひとえに技術屋の「根性」としかいえません(笑)。
しかし、こういった経験が今日のレグザムが掲げる「開発好奇心集団」の礎になったと思います。できない理由よりも、できる理由を考えたほうがいい。自分ひとりではなく、大学の研究者や専門家、パートナー企業など、そうした外部の方々の知見やノウハウを借りて試行錯誤すれば、大抵のものは創ることができると身をもって体験しました。
開発の領域は無限大。ODM(※1)と自社開発の両輪で開発力を高める
――電子コントローラのODMだけでなく、自社製品の開発にも積極的に取り組まれていますが、どのような効果があるのでしょうか。
住田氏:これまで、非接触式の地すべり観測機「Merex」、基板外観検査装置「Sherlock」、バイオ研究用分析機器「Bio-REX」など、既存技術を応用したさまざまな自社製品を開発してきました。
新規事業の成功には「販路」が不可欠ですが、自社製品は初期投資もかかりますし、販路もありません。それでも自社製品に挑戦するのは、人材育成や開発力の向上にも重要な役割を果たすからです。
自由な発想で、あれこれ試行錯誤しながらものをつくる経験によって技術者は成長します。その成長が企業全体の開発力の向上につながっており、ODM、自社開発の「Noとは言わないモノづくり」を支えていると考えています。
(※1) Original Design Manufacturingの略語で、開発、設計、製造までを受託する手法。OEM(Original Equipment Manufacturing)では製造のみを受託するのに対し、ODMは請け負う範囲が幅広いのが特徴。
――スキーブーツや地ビールなど、電子機械メーカーとは思えないようものまで製造しています。どういう経緯でスタートしたのでしょうか。
住田氏:スキーブーツ事業は、1993年に参入しました。取引先であったスポーツ用品会社から独立した開発チームから、「世界一のスキーブーツをつくる挑戦を支援してくれませんか」とお願いされたんですね。熟慮の末「若者の夢を育てる」ことも企業の使命だと考え、開発チームごと当社で受け入れさせていただくことに決めました。
そのとき採用したスキーブーツのブランド名が「REXXAM」(レクザム)です。Rex(王者)とMax(最大)を組み合わせた造語で、僭越ながら「最大なる王者」という意味があります。創業50年を迎えた2010年、今後のグローバルな事業展開とハイテクイメージのため、小文字にした「レクザム(Rexxam)」の社名とロゴに改めました。
ビール事業がスタートしたのは1996年のことです。1994年に酒税法が改正され、ビール醸造の免許取得に必要な年間最低製造量が大幅に引き下げられました。これにより、全国に多数の小規模なビール醸造所(マイクロブルワリー)が誕生することになりました。これはブームが到来するのではないかともくろんで、事業として立ち上げたわけです。
ただ、ビールそのものの製造ではなく、醸造に必要な製造設備を設計・販売するのが狙いでした。実際、電子制御・金属機械加工などこれまでに蓄積した当社の独自技術を生かし、全自動で高品質なビール醸造プラントを完成させ、その見本として自分たちでビールを製造することに至ったのです。現在「さぬきビール」等のブランド名で3種類を製造・販売しています。醸造プラントについても著名な中規模クラフトビールの製造所でお役にたっています。
「開発好奇心集団」を掲げるレクザム。そのキーワードが社風に与える影響とは
まさに技術者の好奇心を大切に、事業展開をされているように見えるレクザム。働かれている皆さまの雰囲気はどのようなものなのでしょうか。生産本部 総務部 部長の藤本 規吾氏に伺いました。
――レクザムは「開発好奇心集団」を掲げられていますが、実際のところ、社内の雰囲気はどのようなものでしょうか?
藤本氏:会社として、すごく一体感がありますね。誰かが困っていたら、「どうした?どうした?」とみんな出てきて、「一緒に解決しようぜ!」というような。
「開発好奇心集団」を掲げている通り、若いうちからさまざまな開発領域に挑戦させてもらえ、困難な領域への挑戦もともに乗り越えようと言う会社の元々の気風が強いのかもしれません。向上心のある方にとってはとてもいい環境だと思います。
――会社としては、どのような仕組みづくりをされていますか?
目下、学歴や年齢などに関係なく、なるべくフラットに頑張りを評価する人事制度改革に取り組んでいます。また、これまでの評価制度だと、それぞれの個性をうまく評価できていない部分もあったので、「みんなとやり方は違うけれど、成果を上げている人」もきちんと評価できるような仕組みをつくりあげていきたいですね。
技術者としての好奇心を大切に。未来を見据えた新たな事業領域へも挑戦する
最後に、住田氏に今後の展望について伺いました。
――技術者としての好奇心を大切に、自由闊達な事業展開を進める姿に感銘を受けました。最後に、今後展開する予定の事業などがありましたら教えてください。
住田氏:当社の拠点がある中国の雲南省で、“酵母”の製造に取り組んでいます。これも話をさかのぼれば10年以上前のことですが、現地とのつながりでお話をいただきまして。原料となるのは雲南省で生産が盛んなサトウキビです。砂糖を製造した後の残渣(ざんさ:糖蜜)を活用して発酵させて作った酵母を豚や魚の養殖などに使われる飼料に添加することで、従来多用していた抗生物質を与えることなく免疫力を強化することができるので、安全かつ肉質の向上や繁殖性の改善などの効果があります。年間最大3000トンの酵母を生産できるプラントを雲南省に建設し、現地の大学とも共同研究を行っています。
こういったバイオテクノロジーの分野にも挑戦をしているのは、やはり事業としての付加価値や伸びしろに期待が持てるからです。現在は飼料に使用されるものがメインですが、近い将来には、食品や化粧品などの分野で使用される酵母の製造にも着手します。マーケットとしては大きく、付加価値も高いので非常に魅力的です。また、食料問題の解決にも寄与する可能性を秘めた事業ですから、中国国内だけでなく、東南アジアや欧米にも早期に拡大していくことを構想しています。
未知の分野へも果敢に取り組む。そんな挑戦から培われた財産が本業に生かされ、そこからさらに新しい分野へとつながっていく。そんな好循環を生むチャレンジをこれからも続けていきたいですね。私が技術者として歩み始めた50年前と変わらず、失敗を恐れずに突き進みたいと思います。
<取材を終えて>
オリックス株式会社 高松支店 尾形 洸亮
住田副社長の、快活でテンポのよいお話に引き込まれてしまう取材でした。住田副社長の「できないに挑み続ける」という信念が企業カルチャーとして根付いたことで、新しい事業が次々と誕生し、それを形にしていくことでまた新たな扉が開かれていく。それがいまのレクザムさんの成功の原点ということがよく分かりました。オリックスグループとして今後も挑み続けるレクザムさんの発展に貢献できるよう、再生可能エネルギーの活用やインフラコストの削減等でお力になっていきたいと思います。