株式会社オサベフーズは、大手冷凍食品メーカーの協力工場として、1988年に岩手県陸前高田市で創業しました。その後、宮城県気仙沼市に2工場を設立し、計3工場でパスタ、ハンバーグ、メンチカツなどを製造していましたが、2011年3月11日に東日本大震災が発生。津波による被害で全工場を失うことになります。しかし、その苦難を乗り越え、工場の再建のみならず、新たな工場も建設、ゼロから販路を開拓して、年商30億円達成と見事な復活を遂げました。その背景には、「ステークホルダーから信頼され成長し続ける」という経営者の強い思いがありました。代表取締役社長の北村 梅治氏に、震災からこれまでの軌跡、食品事業成功の秘訣(ひけつ)、未来へ託す思いなどについて伺いました。聞き手は、オリックス株式会社 仙台支店の田嶋 秀晟です。
震災で3工場が全壊。復興のために早期稼働再開を実現
――はじめに、北村社長のご経歴をお聞かせください。
北村:高校卒業後、大手の業務用冷凍食品メーカーに入社しました。以来、同社ひと筋に勤めあげ、キャリアの終盤には副社長や顧問として経営全般のかじ取りを担わせていただきました。役職定年後、縁あってオサベフーズの経営に携わることになり、いまも現役ですから、気づけばもう60年近く冷凍食品業界に身を置いています。
実はオサベフーズは、私の在籍していたメーカーの協力会社としてスタートした会社で、実は旧本社工場の立ち上げにも私は関わっています。気仙沼で前職の調達課長として働いていたときに、海外から輸入したエビ・カニの異物選別や洗浄を行える協力工場を探していました。メーカーの工場近くに偶然立地していたオサベフーズに話を持ちかけたのが出会いです。その後、同メーカー社員の立場として、2003年に冷凍食品のプレーンパスタの製造、ハンバーグやメンチカツの製造……とオサベフーズの事業拡大を主導し、あわせて2007年の岩月工場、2009年の内ノ脇工場の設立にも携わりました。このような経緯もあり、入社前からオサベフーズの事業は熟知していました。
――大手冷凍食品メーカーの協力工場から、独立したきっかけは何でしょうか?
北村:2011年3月11日に発生した東日本大震災です。震災時は、気仙沼工場で冷蔵倉庫を新設するための打ち合わせに参加していました。急いで高台にある自宅に戻り、ことなきを得ましたが、オサベフーズの3工場は津波により全壊。ここ気仙沼工場にいたっては、2階の床上まで水が上がり、1階の屋根の上には軽自動車が乗っかっていました。
全工場が稼働停止となり、「廃業」も頭をよぎりましたが、オサベフーズ前社長も私もどうにか早期に稼働を再開させたいと思いました。避難所で生活する被災者の方々に寄り添うために、「頑張ろう」と言葉をかけ合うこと以外にできることはないか。そう考えたときに、一刻も早く働く場所を提供して、「自分たちで頑張っていこう」と思える土台をつくることが、なによりの地域の復興につながるのではと思ったのです。
まず、県の補助金の認可を受けて岩月工場を再建、「本社工場」としてハンバーグ製造を再開しました。津波に流されずに残された機械の多くが、メンテナンスをすれば使えたことは不幸中の幸いでした。
しかし、さらに想定外のことが起こりました。大手冷凍食品メーカーから協力工場としての関係を解消されてしまったのです。会社として独り立ちを余儀なくされました。
自社だけではなく、売り先も仕入れ先もプラスになるような「支え合い」を
――震災後、ゼロからのスタート。どのように再起の道を切り拓いたのですか?
北村:これまで担ってきたメーカーの協力工場としての役割がなくなった以上、食品の製造工場として再起するには、原料の仕入れはもちろん、販路も自分たちで開拓しなければいけなくなりました。以前の取引先の販路に売り込みをかけるわけにはいきませんでしたが、前職で培った人脈を駆使し、まずは旧知の原料メーカーや機械メーカーに取引先候補を紹介してもらうことから始めました。ありがたいことに、ご相談した皆さまが一生懸命候補を探してくれてその中で最初に仕事をいただけたのは食肉専門の大手商社でした。一般的に、冷凍食品会社は問屋を通じて製品を販売しています。メーカーからの独立前と同じ問屋を経由すると、同業他社と競合してしまいますが、食肉商社の場合は問屋を介さず独自の販売ルートを保有していたため、スムーズに取引を開始できたのです。その商社に総菜や冷凍食品を提供していたところ、他社からも次々と依頼が舞い込むようになりました。「安くて、いいものをつくる会社が気仙沼にある」と、業界で少しずつ評判になっていったのです。食品業界は広いようで狭く、大手企業はコンビニやレストランの総菜をどのメーカーがOEMでつくっているのか、常に調査しています。大手食品メーカーからホームページ経由で突然、製造依頼が来たこともありました。
取引先も大手スーパー各社、コンビニチェーン、ハンバーガーチェーン、カフェレストランなどどんどん増えているので、きっと皆さんもオサベフーズの製品を一度は召し上がったことがあるのではないでしょうか。
食品事業の成功の秘訣(ひけつ)は、「価値あるものを、いかに安価で提供するか」に尽きます。われわれの業界以上に、消費者の方々は“価値”と“価格”のギャップをシビアに捉えています。そのことを、私はこれまでのキャリアとそこで見てきた商品ヒットのプロセスから学んできたのです。
――そうはいっても、いいものを安くつくるのは、なかなか難しいと思います。ポイントはどこにあるのでしょうか?
北村:原料以外のコストを極力、低く抑えることです。そのためにさまざまな工夫をしてきました。例えば、石巻にある原料メーカーからは鶏肉をダンボール詰めで輸送してもらっていましたが、それをパレット詰めに変えて、自社トラックでの受け取りに変更しました。これでダンボール代と輸送費が削減されました。前職からの長年の経験で、製造経費、配送費、販売経費、サンプル代……など、どのコストに削減の余地があるのかがわかるのです。品質は維持したままトータルでコストダウンをして、市場よりちょっと安く売る。それがコツです。
そしてもう一つ大事なのは、自社だけがもうけようとしないことです。前述した石巻の原料メーカーの例では、削減されたコストを相手の企業にも還元しました。売り先も、仕入れ先も、それぞれが当社と付き合ってプラスになるように事を運んでいく。各方面とwin-winの関係を築くことが事業拡大につながりますし、そういう支え合いが広がって、地域全体、国全体への貢献にまで拡大するのだと私は考えています。
4工場で実現した、より安全・安心で高品質な商品ラインアップ
――工場の全壊から、どのように生産・流通プロセスを確保したのでしょうか。
北村:気仙沼本社工場は再開できましたが、気仙沼のもう一つの生産拠点だった内ノ脇工場と、陸前高田の旧本社工場は、護岸工事のため各自治体に買収され、再稼働の道が絶たれてしまいました。そこでまず2013年4月に、津波の被害を免れた陸前高田の鶏肉加工工場を譲り受けてリニューアル。岩手工場として、パン粉付け商品の製造を再開しました。
その後も依頼が増え続け、気仙沼本社工場と岩手工場だけでは生産が追いつかないということで、2017年に、宮城県登米市に三つ目の工場を立ち上げました。この登米工場は、既存の2工場とは異なり、自由な設計が可能でしたから、理想の工場を追求しました。ここでも、過去オサベフーズの設備導入や工場レイアウト設計に携わっていた経験が役立っており、経営者の立場ではありますが、自ら新工場の設計まで主導しています。
工場は、作業区域を、原材料や包材などの入荷・製品出荷などを行う「汚染区」、調理、加工処理などを行う「準清潔区」、充填(じゅうてん)や包装など最終製品を扱う「清潔区」の三つに分け(ゾーニング)、原料の入荷から製品の出荷まで一方通行で交差汚染を防ぐレイアウトにしています。
また、その日の生産数量や機械設備の異常、凍結機・冷蔵庫の温度などをネットワーク上で管理できる「環境監視システム」、万が一トラブルが発生した場合に時間軸と照らし合わせてカメラ映像で作業内容を確認する「セキュリティシステム」、原料から製品までの履歴を管理できる「トレーサビリティシステム」を導入し、より安全・安心で高品質な商品を製造するための空間が完成したのです。オペレーションも厳密にマニュアル化し、震災後に採用した経験の浅いスタッフでも、即戦力として活躍できるシステムを整えました。ここまでの設備・体制がそろっている工場はなかなかないかと思います。
2023年には、気仙沼市浜町に新たにハンバーグ製造専用の工場を建て、現在は4工場体制で、主力のハンバーグをはじめ、メンチカツ、白身フライ、牛丼の具などをOEMで製造しているほか、自社ブランドの商品も製造しています。震災後、地域に認められるような、安定した企業経営をしていくための売り上げ目標として「年商30億円」を掲げましたが、2018年には達成できました。直近の2024年8月決算では、約56億円まで伸長しています。
全てのステークホルダーから信頼され、ともに成長できる会社に
――大震災の苦難から見事に復活を遂げられ、現在の業績も好調だと思います。最後に、今後の目標についてお聞かせください。
北村:価値あるものを安く提供することで、お客さまに喜んでもらうことに尽きます。近年は工場の自動化・省人化によって効率化をめざす方向に業界全体が進んでいますが、私は合理化によって損なわれる価値もあると思っています。例えばメンチカツは、機械がつくった完全に整った形のものよりも、ちょっと不格好で手づくり感のあるもののほうが、実はよく売れたりもするのです。合理化だけが正解ではありません。そのことを忘れずに、お客さまの心に寄り添った商品開発を続けていきたいと思います。
近年は従業員も増え、会社の名前も地域住民に知っていただけるようになっています。気仙沼は仙台市からも離れた場所にあり、首都圏からのアクセスが良いわけではありませんが、それでも良いものをつくっていれば、しっかりとステークホルダーに評価、信頼され、一緒に成長し続けることができると、これまでの経験が物語っています。お客さま、取引先、従業員、皆さんが幸せだと感じられ、オサベフーズの製品を食べたい、一緒に仕事をしたい、この会社に勤めていることが誇りだと思える人たちを、より増やしていきたいと思っています。皆さんにも応援いただければ幸いです。
<取材を終えて>
オリックス株式会社 仙台支店 田嶋 秀晟
東日本大震災から復興を果たし、私も何度も利用しているような店舗に食品を届ける企業にまでオサベフーズを成長させた北村社長のお話に、いち企業人として感銘を受けました。食品事業のプロフェッショナルとして積み上げられた経験やノウハウはもちろん、自社だけではなく、ステークホルダー全体の利益と成長を考える北村社長の姿勢が、なによりの事業推進の礎であることを実感した次第です。気仙沼から再起を果たしたオサベフーズのさらなる成長を、オリックスグループとしてもサポートできたらと思っています。