秋田県由利本荘市。秋田県内一の広大な面積規模を誇るこの地には、電子部品・デバイス関連の製造業を中心に、数多くの“ものづくり企業”が集まっています。そのなかで、高い安全性と専門性が求められる航空・宇宙産業をはじめ、再生可能エネルギー、生産設備、プラント・メンテナンスなど、さまざまな分野の製品・装置開発を手がけるのが、株式会社三栄機械(以下、三栄機械)。国内外の世界的企業が、その技術力と提供する付加価値に期待を寄せています。
全く異なる業界のリーディングカンパニーから頼られ、期待に応える秘訣(ひけつ)はどこにあるのでしょうか?オリックス秋田支店 次長の近藤 龍馬が、佐藤 淳社長と社員の方にお話を伺いました。
他社がやらない“隙間”に入り込み、ニーズに応えて道を拓く
――三栄機械は、航空・宇宙産業をはじめ、さまざまな分野のものづくりを手がけていますが、創業時は何からスタートされたのですか。
佐藤氏:創業者の細矢 育夫は、もともと外国航路の船員で一等機関士として働いていました。その後、地元の由利本荘市に戻り、鉄骨を作る会社に勤めた後、その会社の倒産を機に1971年に起業。墓石などに使われる石材の切断機と研磨機を作って売り始めたのが最初と聞いています。当時、石材の加工は職人の手作業で行われている時代。その作業を機械化することで、もっと効率よく大量に加工できると考えたようです。
――なるほど、省人化や自動化といった現在の事業にもつながるようなことを創業時から考えていたのですね。
佐藤氏:その後、少しずつ仲間が増えていくなかで、鉄骨の設計や加工ができるメンバーが入り、建築物の鉄骨づくりの仕事を手がけるようになりました。1970年代といえば木造建築から鉄骨建築にどんどん切り替わっていったタイミング。由利本荘市内の駅周辺の建物は、ほぼ三栄機械製の鉄骨が使われているという話もあるんですよ。
ただ、鉄骨の製造も浮き沈みのある世界ですから、それだけに頼ることはできません。由利本荘市は世界的電子部品メーカーの城下町とも言える場所。どのようにしたら取引できるかを考えたそうです。しかし、新参者が地域の先行企業と競合するのはいばらの道ですから、“隙間”を見つけることにしたのです。
それが、セラミックなどの電子部品材料を成形・焼成する粉体プラントでの配管、電気工事などの仕事でした。当時、周辺の企業は、出来上がった部品を基盤に実装するなど、製品に近い終盤の工程を担う企業が多く、配管、電気工事などの表から見えない仕事を請け合う企業は少なかったのです。そこで技術と実績を磨き、設備修理やメンテナンスも任せていただけるようになりました。
――隙間にニーズがあったのですね。
はい。そのうちに、大手粉体メーカー数社から「うちも手伝って」と、ご相談いただけるようになりました。このプラント工事事業が当社のベースとなり、現在も全国各地を駆け回って仕事をさせてもらっています。
さらに、粉体プラントのメンテナンスで培った電気工事の受託体制を生かしてリサイクル処理設備やゴミ処理設備の工事・メンテナンス関係の仕事に展開したり、生産設備・社内設備等の設計・製作にも携わったりするようになるなど、さまざまな業界のものづくりにチャレンジして事業化してきました。
持ち前の柔軟性と提案力で、航空・宇宙業界に参入
――秋田県内でいち早く参入されたという航空・宇宙産業については、どのような経緯で事業化したのでしょうか?
佐藤氏:きっかけは、航空機部品などを手がける企業に勤めていた人がAターン(※1)で三栄機械に入社したことです。その社員のツテで航空関連の企業とお付き合いするうちに、機体整備工場のメンテナンス機材をご依頼いただけるようになりました。例えば、エンジンを運搬するための設備や、整備作業用の昇降機、作業台など、一般の方の目にはあまり触れないけれど航空機メンテナンスの効率化には欠かせない設備ですね。
(※1)Aターン:秋田県へのUターン・Iターン・Jターンの総称
――「高さを調節できる整備機材」など、アイデアはどこから生まれてくるのですか?
佐藤氏:実際に航空施設を見学させていただき、お客さまにヒアリングを重ねるなかで「この作業台、高さを変えられたら便利だよね」といったお客さまの一言を見逃さないんです。お客さまの困りごとや望みをキャッチして、技術者と一緒に解決策を設計図に落とし込み、「こんなものはどうでしょうか?」とお客さまに提案する。その繰り返しですね。
また、提案に向けては、担当者が設計したデザインを社内でレビューする過程を必ず入れています。さまざまな業界を知っている技術者たちがアイデアを出し合うことで、より良いものが生まれています。
――なるほど。新たな業界に参入する際は、分からないことも多いのではないですか?
佐藤氏:おっしゃるとおり、専門用語は何一つ分からないし、業界のルールや常識を学ぶところからのスタートです。他にも航空機を手がける企業のOBを社員に迎え入れ、エンジン周りのノウハウを教えてもらったり、逆にうちの設計士や技術士がそうした企業に出向し、数年かけて図面の書き方などを学ばせてもらったりすることもあります。
そうやって実績やノウハウを蓄積することで、やがて整備用品だけではなく、航空機そのものの製造に関わる部分を担当させてもらえるようになりました。大きな転機となったのは、B-747というジャンボジェット機の機体製造用設備の設計・製造です。胴体の骨組みを組み立てる際に、大量の部品に対してワンタッチで位置決めできる治具(ジグ)(※2)を提案したところ、関係する数社の企業からお声がけいただけるようになりました。
(※2)治具:部品の加工や製品組み立ての際、部品や工具の位置合わせや固定に用いる補助工具のこと
1996年には防衛庁(当時)の航空整備器材製造資格認定を取得し、2000年には、さらなる品質向上を目指してISO9001を取得。機体部品の製造・組立工程の自動化設備、機体部品検査装置、自動穿孔(せんこう)機など、さまざまな開発に携わるようになりました。
こうしたご縁がきっかけとなって、宇宙関連にも参入。ロケット関係の搬送設備や治具、検証装置、作業台などを製造しています。社員も、何度も種子島に足を運んでいるんですよ。
地元が注力する「風力発電」にも貢献
――社員の方の活躍といえば、南極に行った社員の方もいらっしゃるそうですね。
佐藤氏:はい。航空事業でお世話になっていた企業から依頼を受け、南極の昭和基地に設置する風力発電装置の製作を担当しています。社員が観測船「しらせ」で南極に行き、設置作業を行いました。現在は3基が稼働しています。
――そもそも、秋田は風力発電の盛んな土地ですね。地元の風力発電にはどのように関わっていらっしゃるのですか。
2013年に秋田の風力発電関連産業の振興を目指すコンソーシアム「秋田風作戦」が設立され、当社2代目社長の齊藤 民一がこのコンソーシアムの副会長として携わってきました。そのつながりから海外企業の依頼を受け、基礎部分の固定用アンカーボルトのテンプレートや、アンカープレートなどの製作を担っています。
この仕事がきっかけで、風力発電装置の内部で使う部品のメンテナンスや、設置工事に使う海外製機材の保管なども請け負うようになりました。私たちが担当するまで、冬場、雪で作業ができない期間は、機材が港に置かれたままだったんです。「油をさすなど機材の手入れをし、保管する」という、まだ誰も対応していなかった“隙間”のニーズに応えました。
さらに、コロナ禍では外国人技術者が来日できず、機材の整備が行えない状況が発生しました。そこで、その海外メーカーとWebミーティングを行って資格を取得し、私たちが日本における機材整備を担えるようにしたのです。
「風力発電」というと風車の部分などが目立ちますが、私たちは、こうした表から見えない仕事を請け負っています。
――一般の方からは見えづらい部分ですが、お客さまの困りごとを現場でキャッチし、多様な事業で培ってきた知見を掛け合わせて解決策を提案する。現場には欠かせない力となっているんですね。
成長とは、昨日の自分よりちょっとよく変わること
――外部のノウハウを吸収し、新しい領域にチャレンジする柔軟性は、三栄機械ならではの強みと感じます。
佐藤氏:自分たちだけで勉強しても限界があるので、その業界のプロの方々から学ばせていただくことが重要だと思っています。自動車メーカーとお付き合いが始まったときも、東北の工場に社員を送り2年間学ばせていただきました。やはりその業界の常識、図面の書き方、専門用語などを覚えずして良い提案はできませんから。
――一方で、社員の方にとっては常に変化が求められる環境だと思うのですが、その対応力はどこからくるのでしょう。
佐藤氏:私も感心するばかりです。お客さまの期待に応えたい、期待以上のものを作って喜ばせたいという思いの強い社員が多いですね。
ただ、チャレンジ精神は、創業からずっと受け継がれているものでもあります。「経営計画書」という会社の基本方針があり、そのなかで「成長とは、昨日の自分よりちょっとよく変わること」と示し、その小さな成長を繰り返すことが大切であると伝えています。
「経営計画書」では他にも、今の世界情勢で押さえておくべきトピックやビジネストレンド、10年後にみんなで何を目指すのか、そのために今期は何に注力するのか、どのくらいの売り上げと利益を稼ぎ、業績手当をどのぐらいの割合で分配するのか、そういったことを詳細に記載しています。言われたことだけを忠実にこなすのではなく、自主的に課題を見つけ必要な行動をとる社員であってほしいのです。
期初に、私が全社員の前でこの経営計画書を発表し、その後、各部門の人たちにありたい姿や目標を発表してもらう「経営指針発表会」を開催しています。
――なるほど。具体的な目標数値や賞与の分配比率まで開示されているので、社員一人ひとりが会社経営を自分事として捉えられ、自主的に課題を見つける姿勢が生まれやすいのですね。
常に“新鮮さ”を感じられる環境で、設計者として成長し続けたい
実際に現場で活躍する社員の方は、三栄機械で働くことをどのように感じているのでしょうか。技術部 係長の八田 建一さんにお話を伺いました。
――三栄機械に入社した経緯を教えてください。
八田氏:私は神奈川県出身で、東京で設備機械の設計をしていました。旅行や釣りが好きで秋田を訪れたとき、自然の豊かさや雰囲気に魅了され、秋田に移住したいと考えるようになりました。そこでAターン就職を検討し、秋田県の担当の方に紹介していただいたのが三栄機械でした。
これまで、航空機関連設備から生産設備、風力発電までさまざまな設計に携わっています。鉄骨や生産設備など大きな設計図を自分で描き、最終的に形になってお客さまに届くところまでを見られるのが楽しいですね。
――新たな業界を担当する際は、覚えることが多くて大変じゃないですか?
八田氏:都度勉強しながら仕事を進めていく大変さはあるのですが、常に新鮮さを感じられる職場は、恵まれた環境だと思っています。担当業界・企業が固定されていないので、さまざまな経験ができ、設計者として引き出しが増えている実感がありますね。
知識や経験の積み重ねで自分の引き出しを増やしていくことが良い設計者への近道である一方で、ボルト一つとっても常に進化していく業界。過去の経験だけに頼らず、新しいことにも積極的にチャレンジする姿勢が求められます。外部の情報にも触れ、新しい技術やトレンドも吸収するように心がけています。また社内のデザインレビューでは、技術部内のみならず、品質保証部や製造部など、さまざまな方に作成した設計への意見をもらいます。一人で考えるのには限界があり、気づかなかった視点を得られるのはありがたいですね。
――設計者として目指す姿はありますか?
八田氏:良い設計とは、「ミスがない設計」です。「新しいことにチャレンジする」話と矛盾するかもしれませんが、両立できるのが良い設計者。初めてのチャレンジは、うまくいかないときのリカバリー方法を考えた上で試してみる。ミスを想定した上でチャレンジを恐れない姿勢を大切にしていきたいと思います。
人とのご縁を大切に。地域社会の困りごとに寄り添っていきたい
最後に、佐藤社長に今後の展望について伺いました。
佐藤氏:少子高齢化や人口減少が叫ばれて久しいですが、私たちはそれを前向きに捉えるようにしています。「人が足りないならロボットを使う」など工夫をすることで、少ない人数で今以上の量を作れるようになる。これは進化のチャンスです。
私たちも、さまざまな業界の仕事を経験してきたからこそ生まれるアイデアを、ロボットなどの製品作りに生かし、その進化を支えたいと考えています。例えば、鉄道会社さまより「重い車両を自在に運びたい」という要望をいただき、メカナムホイール(全方向移動が可能な車輪)を用いた台車を開発しました。自由自在な動きだけではなく、狭い床下へ入り込んで車両を上げ下げできるリフターを搭載。航空・宇宙事業での重量物搬送の経験を生かしています。
いま、地域は多くの課題を抱えています。ですから、全国規模の仕事に携わるだけでなく、地域に根ざした小回りの利く中小企業として、地域の皆さまの困りごとに寄り添っていくことも重要だと考えています。秋田に身を置く企業である限り、私たちは秋田の発展や課題解決に貢献する義務がありますから。
「ちょっとこの機械直してくれない?」と地域の方々から頼られ続ける存在でありたいですね。人と人とのつながりが大切です。そもそも私たちの会社自体、社員、人のつながりがあって、ここまで事業を広げていくことができました。企業活動を支えてくれるのは社員であり、お客さまですから、これからも人とのご縁を大切にしていきたいです。
――ありがとうございました。
取材を終えて オリックス秋田支店 近藤 龍馬
秋田に転勤して1年がたちますが、こんなに多様な業界のニーズに対応している三栄機械の存在を知ったときの驚きは、鮮明に覚えています。今回改めてお話を伺い、未知の領域に恐れずチャレンジする姿勢、ニーズをいち早くくみ取り、技術とアイデアを駆使してカタチにする提案力。それらが社風として社員の皆さまに根付いているところに大きな感銘を受けました。現在は、設備調達の効率化などのお手伝いをさせていただいておりますが、国内外に限りない可能性を持つ三栄機械とともに社会の発展に貢献できるよう、オリックスグループとしてさらにお力になっていきたいと思います。