宇和島から世界へ。活魚の輸送会社が、なぜ魚の生産から加工、販売を一気通貫で手がける企業へと成長できたのか【愛媛県・イヨスイ株式会社】

四国の南西部に位置する愛媛県宇和島市は、豊かな自然を生かした一次産業が盛んな地域。山では柑橘類の栽培、海では真珠やマダイの養殖が行われ、「鯛めし」や「じゃこ天」などの海産グルメも有名です。

そんな宇和島で誕生した「タマクエ」をご存じでしょうか?成長の早い「タマカイ」と、美味で高級魚として名高い「クエ」を掛け合わせた魚で、それぞれのいいところが受け継がれています。開発したのは、イヨスイ株式会社。魚の生産、加工、流通、販売を一気通貫で手掛け、海外へも多様な水産物を輸出しています。水産業ではあまり見られない一気通貫型のビジネスモデルを、同社はどのように構築しているのでしょうか。創業者で社長の荻原 達也さんと社員の方々に、オリックス松山支店の吉田 幸平がお話を伺いました。

「人と同じ道には進まない」ことで、唯一無二の存在となる

――まずは創業の経緯からお伺いしたいと思います。意外だったのですが、荻原社長のご実家は、漁業ではなく農業を営まれていたのですね。

イヨスイ株式会社 代表取締役社長 荻原 達也氏

荻原 達也氏:実家は宇和島の農家です。自分も家業を継ぐものだと考え、農業高校に進学しました。ただ都会への憧れもありましたから、高校卒業後は上京して親戚の経営する特殊グラファイトのメーカーに就職。2年間、代表のカバン持ちをし、社会人や商売の基本姿勢を学びました。

その後帰郷し、家業の農業を手伝ったのですが、「耕して天に至る(※1)」と評された段畑耕地に直面したとき、一つの土地に縛られるより無限に自由にチャレンジしたいという思いが浮かびました。それが「海の可能性を追求する」というイヨスイの創業精神に繋がっていくことになるのですが、まずは水産業界に身を置き、地元の海産物の営業に従事することにしました。そこでは、真珠や真鯛など海上養殖の世界を知ることとなりました。縁あって1983年に主に活魚貝類の海上輸送を行う住宝丸活魚運搬株式会社の立ち上げに参画。地域で育成された魚介類を運搬していく中で、もっと養殖業界に深く関わるビジネスがしたいと、1991年にイヨスイ株式会社を立ち上げ、分離独立しました。

※1 耕して天に至る:急峻な斜面に広がる段畑の壮観を表した言葉。耕地には向かない土地に石垣を積み開墾した先人の苦労を偲ぶ意味も含まれる。

――起業当時から、魚の育成から流通まで一気通貫で手掛けていたのですか?

現在のイヨスイの事業モデル。養殖業に関する種苗の輸入・開発・販売、飼料の販売、水産物の加工・流通・販売を行っている。

荻原 達也氏:いえいえ、創業時は輸送以外の浜問屋(※2)的な業務をしておりました。当時、宇和島にはすでに多くの水産会社があり、私たちは後発の立場。他社と同じ道は歩めないと考え、新たな取り組みとして中国に出向き、スズキなど養殖用種苗の開発やトラフグのふ化・養殖を始めました。

中国で育てたスズキはよく太り、養殖魚として効率の良い種でしたが、日本の従来の魚とは、形・模様が違い、今までの販路ルートでは取り扱いできませんでした。そこで、自社で活魚運搬車を購入し、自ら直接販売を開始することにしたのです。日本から運んだ魚卵を中国でふ化・養殖したトラフグも、環境の違いで日本のものとは同じ姿・形には育ちませんでした。質が良くても異なる見た目では販売できないため、加工場を建設し、自ら加工して販売することにしました。

また、海外取引を拡大していくにあたり通関が必要ですが、代理業者でも特殊な活魚介は通関が困難なため、自社で通関業務も始め、直接携わることになりました。

※2 浜問屋:漁業協同組合(漁協)による共同販売(共販)を介さず、生産者から直接購入する流通業者のこと。

――輸送から生産、加工、販売、少しずつ業務領域を広げてきたのですね。

荻原 達也氏:はい。さらに生産量が増えたら、今度は売り先を増やさないといけない。海外への輸出を行うために、各国の関税や輸入承認制度について勉強しました。その後も「長距離輸出するためには冷凍施設も必要。他社と差別化を図るためには種苗から開発した方がいい。活魚運搬車も全然足りない…」と様々な事に挑戦し失敗を重ね、時代や社会、お客さまのニーズに必要に迫られて対応していくうちに、種苗開発から販売まで一気通貫で手掛ける会社になっていたのです。

取材当日の朝は、2カ所で魚の水揚げが行われていた。(左上)生け簀(いけす)から水揚げされたタイを鮮度高く効率的に運べるよう、仕切りのケースに並べ、運搬車へ運ぶ(右上)イヨスイの活魚流通センターに鹿児島から着いた活魚運搬船。(左下・右下)同センターで、船から生け簀に移された魚を、さらに活魚運搬車へと移し、スピーディーに配送する。

――新しい分野に対するチャレンジ精神が、ずっと根底にあるのですね。

荻原 達也氏:誰かにお願いしたいが誰もやっていないので、自分たちでやるしかなかったというのが本音かもしれません(笑)

ただ、「人と同じ道には進まない」という考えは、常に経営の根幹にあります。これは、先ほどお話した私の社会人の原点となった東京での会社員時代の経験から得たものです。会社の規模はとても小さかったのですが、扱っている商材が特殊だったので、大企業とも対等に取引をしていました。ニッチな領域の隙間産業でも唯一無二の存在になれば、方々から重宝されるということが理解できました。

ですから、広い道と狭い道があったら、狭い道を選び続けています。周りに流されずに、自分がこれだと思う道を進んできたことが、いい結果につながっているのかもしれません。

アジアの販路拡大を見据え、新魚種「タマクエ」を開発

――イヨスイの開発した魚でも特に知られているのが、「タマクエ」です。これはどういう経緯から生まれた魚なのですか。

荻原 達也氏:ともにハタ科の「タマカイ」と「クエ」という魚を掛け合わせてできた魚で、15年ほど前から開発を始めました。「クエ」は“幻の魚”とも言われる高級魚で、刺し身や鍋物など、日本でも食通から人気です。しかし、養殖に4~5年もかかるのがネックでした。

一方の「タマカイ」は、日本ではあまり知れていませんが、台湾など南方で捕獲される巨大魚です。大きく成長するのが特徴で、全長2m、200㎏以上の個体が見つかることも珍しくありません。この二つの魚を掛け合わせた「タマクエ」は、2年ほどで出荷できるサイズまで育つため、クエよりも生産コストをかなり抑えられます。クエのおいしさはそのままに、3分の2程度の価格で流通が可能です。

「タマカイ」と「クエ」を掛け合わせ、双方の“いいとこ”を活かした魚「タマクエ」(画像提供:イヨスイ)

現在の生産量は年10万尾、重量で30トンほど。飲食店を中心に納めており、国内では2021年に量販店で鍋セットが販売されました。徐々に認知は広まっていますが、そもそもは海外の方の味覚に合わせ開発した魚で、先んじて中国を中心にシンガポールや香港などのアジア圏で人気を得ています。

――ターゲットの味覚に合わせて開発を行っているのですね。

荻原 達也氏:脂の乗り方などはもちろん、活魚・鮮魚・冷凍魚など、需要のある加工方法も各国で異なります。高付加価値の水産物が求められますから、漁業者の方と連携し、そうした個々のニーズに合わせた生産を行っています。品種開発や種苗と飼料の販売をイヨスイが行い、漁業者に育てていただく。その魚を買い取って、またイヨスイが加工・流通・販売を行う。こうしたサイクルを生み出すことによって、地元の産業が活性化すると考えています。

――コーポレート・スローガンの「海を通じ、世界の人々を幸せに~海の可能性を追求する」は、食べる人はもちろん、作る人も幸せにするものなのですね。

荻原 達也氏:まだまだ水産業には大きな可能性が眠っています。一方で、昨今は後継者不足による一次産業の衰退が危惧されています。地域の生産者と連携しながら、若い人が希望をもって飛び込める業界にしていきたいですね。

近年のコロナ禍で価値観が多様化し、大都市ではなく“地方で生きる”選択をする若い方が増えました。実際ここ数年、首都圏、関東圏を中心に全国から優秀な学生の就職希望があり、採用者は意欲的に仕事に取り組んでくれています。彼らがやりたいことに挑戦できる会社でありたいと思っています。

持続可能な水産業のために、現場と世界、双方に近い企業で働きたかった

では、活躍する社員の方たちは、どのような思いを持ってイヨスイで働いているのでしょうか。2人の方にお話を伺いました。

最初に伺ったのは2021年入社の営業企画室 石井 潤さん。2022年1月に稼働を開始した成田事業所の立ち上げに関わるなど、入社してすぐ活躍されています。

イヨスイ株式会社 営業企画室 石井 潤氏

――まず、イヨスイに入社した理由を教えていただけますか。

石井氏:学生時代に水産学について学び、食料問題解決のためのフィールドワークで海外にも度々行っていました。そうしたなかで「水産業の課題を解決する」には、外から解決策を提案するには限りがあり、当事者として実行した方がいいと感じていました。

例えば現在でも、養殖の現場に最新技術を持ち込む提案などを他社からいただくこともあります。ただ、業界の課題を本質から改善するなら、部分的ではなく、養殖漁業の工程全体として最も効果の高い取り組みを考えることが求められます。そのためには、現場に身を置き、運命共同体となって一緒に課題を解決していく姿勢が必要です。

一方で、水産業を振興させるためには、海外とのつながりも不可欠。そこで現場にも海外にも近い会社を探した結果、イヨスイにたどり着きました。このような企業はなかなかないと思います。海外との商談ではスーツを着て、現場で水産合羽をつけて魚を締める手伝いをすることもあります。そんな働き方をしています。

――とてもユニークな働き方ですね。どんな仕事を担当されているのですか。

石井氏:2022年に成田空港の近くで稼働を開始した成田事業所の運営を行っています。主に加工用機械を導入するための補助金申請などを担当してきました。現在は、国からの補助が手厚く、目的を明確にして補助金が受けられれば、大きな負担削減につながります。これは入社時からやりたかったことで、達成できて嬉しかったですね。

成田事業所は、日本の魚のおいしさを世界の人に知ってもらうため、鮮度の高い魚を輸出するために設けられました。日本全国の養殖魚を成田空港の近くで一次加工することで、鮮度を保ったまま各国に輸出できます。今後は、営業企画担当として、タマクエはもちろん、ブリやシマアジなど、日本の水産物をPRしていきたいと思います。

日本食ブームの発信源になれることが大きなやりがい

2人目は、2020年に入社した宮石 利紗子さん。大阪の大学を卒業後、百貨店の外商部に勤務。パートナーとの出会いにより宇和島市に隣接する西予市に移り住んだことがきっかけで、イヨスイに入社されたそうです。

イヨスイ株式会社 海外事業部 Team Leader 宮石 利紗子氏

――現在は、どんな仕事を担当されていますか。

宮石氏:海外事業部に所属し、貿易関連の商談や書類の取りまとめなどを担当しています。輸出先のお客さまや物流業者だけでなく、海外の加工場や施設の認証や証明書を申請するために、行政機関とのやりとりも多いですね。学生時代は外国語学部でスウェーデン語を専攻し、前職でも海外のお客さまともやりとりしていたので、移住先でも語学力を生かせる仕事に就きたいと思いイヨスイに入りました。

前職では納期までのリードタイムが最短でも1週間程度でしたが、生鮮品を扱う今は「明日、明後日には商品がほしい」というやりとりも頻繁にあります。輸出先国の貿易制度をスピーディーに確認して共有するなど、毎日が刺激的です(笑)。

――どんなところに仕事のやりがいを感じていますか?

宮石氏:日本の食文化の「魚」を世界に広げられるところですね。海外で知られていなかったハマチ(ブリ)などが、アメリカで急速に広まり、輸出量も右肩あがりで伸びています。また先日は、県が主催する商談会に参加してロンドンとパリで宇和島の魚をPRしてきました。新しい文化を創り、世界的なブームの発信源になれることが大きなやりがいです。

イヨスイは新しいことに前のめりに取り組んでいく社風で、フットワークが軽い人が多いですね。やる気があれば、若手でも重要なポジションを任されます。プレッシャーもありますが、やり遂げたときの達成感は大きいです。今後の目標は、まだ取引をしたことのない国を開拓していくこと。大好きなスウェーデンにもイヨスイの魚を届けたいですね。

大切なのはサプライチェーン全体で商品価値を高めていくこと

最後に、取締役の荻原 寿夫さんに今後の展望について伺いました。

イヨスイ株式会社 取締役 荻原 寿夫氏

荻原 寿夫氏:宇和島出身の私は、イヨスイ入社前にアメリカで食品関連の仕事をしていたのですが、和食ブームが到来し、宇和島産の水産物が世界的に評価されていることを知りました。宇和島を離れ、海外から日本、そして地元を見たことで、宇和島の水産業の価値に気付くことができたのです。「アメリカに宇和島だけでなく日本の水産物を販売したら面白い」と考え、それが帰国のきっかけとなりました。

日本の人口が減少していくなかで、海外市場は今後ますます重要となります。まずは成田事業所を拠点として、食文化が似ている中国、韓国、台湾をはじめとする東アジアに活魚をどんどん送り出していきたい。そしてゆくゆくは、インドやアフリカ諸国など、多くの人口を抱える国々に魚食文化を広めながら、市場を開拓していきたいと考えています

――それが、地元の水産業を守り、発展させていくことにつながるんですね。

荻原 寿夫氏:はい。生産者の方たちと継続して事業をしていくためには、商品に付加価値をつけ、それを高めていかなければなりません。市場がいま何を欲しているのか生産者に伝え、市場には生産者のこだわりや商品価値を伝え、現場と市場の互いの価値についての理解をつなぐ役割が我々にある。一気通貫のビジネスモデルを行っているイヨスイには、その取り組みをリードする責任があると考えています。

サプライチェーン全体で一つのチームとなり、「海の可能性」を広げていきたいです。

――ありがとうございました。

取材を終えて オリックス松山支店 吉田 幸平
私は、愛媛県の南予エリアを担当しており、多くの企業の方とお話させていただくのですが、普段はなかなかお仕事の現場に立ち会わせていただく機会がありません。今回、船から水揚げされる活きのいい魚の迫力、現場でてきぱきと働かれる社員の皆さまの姿を拝見し「ここから日本・世界へと魚のおいしさが届けられているんだ」と、改めて感動しました。イヨスイ様が新たなチャレンジを進められる上で、オリックスグループとしてサポートできることがたくさんあると感じます。お力になれるよう、日々ベストなご提案を考えていきたいと思います。

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