[監修] 早稲田大学大学院商学研究科 教授 谷口真美
本記事は2022年1月時点の情報を基に作成しています。
多様性を表す「ダイバーシティ」はもうすっかりおなじみの言葉となり、社会のあらゆる領域で見られるようになりました。ビジネスの場においては、競争力の獲得やイノベーションの創出に寄与するとして、多くの企業が取り組みを進めています。
しかし、それぞれのメンバーが、自身のバックグラウンドや価値観、能力について、最大限発揮できる環境が整っていなくては、個としても集団としても良い結果を生むことができず、場合によっては集団として不和を生んでしまう可能性もあります。この不和を減らし個々の力を生かすための仕組み(構造・プロセス)をつくることが、ダイバーシティ・マネジメントです。その仕組みが根付いていると個々人が実感できる状態を「インクルージョン」と言います。
「インクルージョン」は「ダイバーシティ」と比べると、まだ浸透しているとは言えない考え方ですが、今回はダイバーシティについても振り返りつつ、インクルージョンについても解説し、主にビジネスの領域において、今求められる多様性のあり方について紹介します。
インクルージョンとは
「インクルージョン」とは「包含」「包括」を意味する言葉ですが、ビジネスにおいて企業などの組織に関して使う場合「すべての従業員が職場に自分の居場所があり(帰属感)、その個性を生かし職場の成果に貢献している(独自性)と実感する状態」を指します。
ダイバーシティとの違い
「ダイバーシティ」が、さまざまな人が組織に集まっている「多様性」それ自体を指すのに対し、「インクルージョン」とは元来、それら多様な人たちが誰一人排除することなく包含されている状態、つまり「エクスクルージョン」の対義語という考え方から始まりました。
また、多様性は客観的な指標で測定できますが、インクルージョンは個々人の主観(実感)であるという点で、実態把握は難しいと言えます。
ダイバーシティとインクルージョンの取り組みの歴史
「インクルージョン」はアメリカで生まれた概念であり、その背景には「ダイバーシティ」の存在があります。
1960年代の公民権運動をきっかけとして、1964年には公民権法が制定され、その第7編において、人種、肌の色、宗教、出身国(性別は1967年)の「デモグラフィー(あるいは属性)」による雇用差別を行うことは違法であるとされるようになりました。1965年には、特に公民権法第7編の執行を監督する機関として米国雇用機会均等委員会(EEOC)が設置されます。1971年の最高裁判所判決は、意図的な差別だけでなく、雇用慣行の間接差別の証拠に基づき訴訟を起こすことを可能にしました。続く1972年には第7編が雇用機会均等法として制定され、連邦裁判所に訴訟を起こす権限をEEOCに与えました。従業員の雇用形態の詳細な報告、不平等を適切に処置する明示的な計画の提出の対象が、零細企業、教育機関、州や地方政府にも拡大しました。1970年代前半には、逆差別の訴訟も相次ぎ、当時ダイバーシティへの対応は専ら法律順守(あるいはコンプライアンス)や訴訟回避の一環として考えられていました。
しかし、1980年代前半、大量生産大量消費を前提とした経済活動の行き詰まりによって企業活力が低下し始め、当時の政権は、積極的差別是正措置(アファーマティブアクション)に明確な反対の姿勢を示し、EEOCを弱体化させます。新規市場開拓やこれまでにない多様性を持った新商品が求められ始めたことも契機となり、経営者はそれまでの法に順じた受け身的な対応から自ら積極的にダイバーシティに取り組むようになりました。また1987年に21世紀に白人男性以外の者が労働市場の新規参入者のほとんどを占めるという、アメリカの人口構成予測が発表されたことにより、「マジョリティ―」である白人男性以外の者を指す「マイノリティー」が持つ異質性は、イノベーション創出のための手段として認識され始めました。
そして現在では、ビジネスの場に限らず、これまで法制度や偏見・差別の目によって不利益を被ってきた多様な人々を受け入れた社会を実現するためのスローガンとしても広く知られるようになっています。
人材多様化に伴い、組織を整備するためのダイバーシティ・マネジメントに取り組み、採用を積極的に行い、制度を整えたものの運用がうまくいかず、人材が定着しないというケースが見られるようになっていきました。そこで生まれたのが、「インクルージョン」の考え方です。定着だけでなく、個々のメンバーの能力が本当に発揮されているか、それを本人が実感できているかを(例えば社内の風土調査などで)個人レベルで把握しようという試みです。
インクルージョンに注目が集まる理由
インクルージョンへの注目は、「ダイバーシティのための制度を整えただけでは不十分である。重要なのは制度の運用と、運用がスムーズにできる土壌」ということを示しています。
つまり、インクルージョンが実現されないままのダイバーシティ推進が、組織にとってマイナスの効果を生んできたということです。先述のように多種多様な人たちが集まった“ダイバーシティが実現された状態”だけでは、それぞれのメンバーが持つ文化や習慣などの違いがぶつかり合ってプロジェクトや業務が円滑に進まず、個々の特性を最大限に発揮できない状態になってしまう可能性があります。
インクルージョンが実現されないことによるリスク
インクルージョンとは、職場や組織の中に自分の居場所があり、自らのアイデンティティをもとに職場や組織に貢献していると実感できる状態です。「居場所があること」、「貢献意識が持てること」、時と場合によってどちらの期待が大きいかは、個々人によって異なります。例えば、キャリア採用(中途採用)されたばかりの人は、十二分に職場や組織において異質なスキルを持っていることがわかっているので、最初は「居場所がある」と実感したい。また、新卒で入社した人も、職場での「居場所がある」ことを期待しています。一方、ある程度勤続年数が長くなり、職場の仲間だと自ら認識していると、他のメンバーとの差別化つまり、自らの「貢献意識」を持ちたいと考えるようになります。
「居場所があること」「貢献意識が持てること」という二つにおいて、個々人が持つ理想状態と実感の間のギャップが大きくなればなるほど、ストレスが高まり肯定的な態度や行動に繋がりにくくなります。その結果、職場の効率性、効果性も下がります。そのため、重要なのは、そのギャップが埋まるように自らのニーズを内省し、周囲に働きかけていくだけでなく、組織や周囲の人々が個々人を支援していくことなのです。
インクルージョンのメリット
インクルージョンが実現した組織では、以下のようなメリットがあると考えられています。
- イノベーションの創出
インクルージョンの実現で、多様な考え方から新たなアイデアが集まり、イノベーションが生まれやすくなります。 - 離職率の低下、定着率の向上
多様性を尊重する組織においては、従業員の自己肯定感が高まり、企業への帰属意識と貢献度が高まります。女性、LGBTQ、障がい者、シニア、外国人をはじめ、さまざまな属性の方々の目線で職場や組織環境の見直しが、多くの企業で進んでいます。 - 自社の求める人材の採用
インクルージョンが実現された組織とは、例えば、多様な人材がスキルアップでき、企業内で昇進する道が開かれた組織です。そのため長期的なキャリアを形成しやすくなり、自社でキャリアプランを歩みたいと考える人材からのエントリーにつながる可能性も高まります。
インクルージョンに関する注意点
インクルージョンを実現するにあたっては、大きく二つの注意点があります。
時間がかかる
まず気をつけなければならないのが、インクルージョンが実現しその効果が表れるまでには時間がかかるということです。インクルージョンの実現には、従業員の価値観を大きく変えなければならない局面もあるかもしれません。さらには、その進捗(しんちょく)は数値で測ることが難しく、客観的な基準で達成が判断できるものではありません。一朝一夕での効果や実感を期待するのではなく、都度方向性を確認しながら自社と社会の状況を見極めつつ、長い時間をかけて取り組んでいくものである、という意識が重要です。
無意識バイアス
「アンコンシャス・バイアス」とも呼ばれ、私たちの中にある、性別、年齢、人種などにひもづいた、無意識の偏見を指す言葉です。
例えば「男性は仕事に生きるべき」「女性は細やかな気遣いが得意」「インド人は数学が得意」「血液型がA型の人はきちょうめん」などといった考えが、代表的な無意識バイアスです。これらの偏見は多様性ある人材が集まる場において、相互理解や尊重を阻害する要因となり得ます。この無意識バイアスに対処するために「無意識(アンコンシャス)バイアス ワークショップ」を行っている企業もあります。
インクルージョンを推進するためのポイント
定期的に進捗を確認する
インクルージョンの進捗は数値化して判断することができず、進捗管理が曖昧になってしまいがちです。そのため、インクルージョンを推進するにあたり、そのスタートの経緯や、どのような状態になればインクルージョン導入が実現したと考えられるかというゴールイメージを明確に持ち、経営陣から従業員まで、組織内のあらゆるレベルで共有することが必要です。
経営陣がコミットする
インクルージョンの考え方を導入して推進する際には、人事制度や採用など広範囲に影響するため、経営陣の協力なしでその背景説明や目標設定をすることはできません。自社の人材の能力を最大限に引き出し、イノベーションを促進するための手段としてインクルージョンを捉え、経営陣が積極的に関与することが達成への近道となります。
“全体”ではなく、従業員個別の状況を認識する
インクルージョン推進の進捗は、各従業員が会社や職場環境をどのように感じているかといった個人の心理と不可分です。特定の従業員たちが満足していても、もしかしたらその裏側には我慢をしている従業員が存在するかもしれません。そのため、従業員個別に面談をしたり、アンケートを採ったりするなどして、丁寧に把握していかなければなりません。
インクルージョンでダイバーシティのポテンシャルを最大化しよう
以上のように、インクルージョンはダイバーシティの可能性を引き出し、企業や組織に競争力をもたらす有効な手段となり得ます。
すでに数多くの企業がダイバーシティ&インクルージョンに取り組んでいます。そこで、新たにインクルージョンを推進したり、見直したりする際には、他社の事例を調べてみるのも良いでしょう。
誰もが自身の能力を最大限に発揮し、またそのことで組織や社会に貢献しているという実感を個人が持ち得る仕組み作りを進め、イノベーション創出を促す環境を目指しましょう。
オリックスでは、国籍、年齢、性別、職歴問わず、多様な人材を受け入れることで多様な価値観や専門性による「知の融合」を図り、新たな価値を生み出す「Keep Mixed」という考えのもと、社員それぞれの能力、専門性を最大限に生かせる職場づくりを目指しています。