中小企業こそ取り組むべき人材戦略。第三の賃上げと非金銭的報酬とは

[監修] 青山学院大学名誉教授 山本 寛
本記事は2025年8月時点の情報を基に作成しています。

人口減少社会に入った日本では、人材不足が一層深刻化しています。特に中堅・中小企業にとっては、優秀な人材の採用・定着が課題となっています。

大手企業は賃上げや初任給の引き上げといった手段で対応していますが、中堅・中小企業には、同様の施策は容易ではありません。

では、限られた資源のなかで中小企業はどう人材を引き留めていくべきなのでしょうか。そのカギは「第三の賃上げ」や「非金銭的報酬制度」です。青山学院大学の山本 寛名誉教授は、このような「給与アップ以外の手段」にこそ、中堅・中小企業は活路を見いだすべきだと指摘します。

賃上げに頼らず人材を引き留める「第三の賃上げ」とは何か

──現在、中堅・中小企業が人材の採用・定着で直面している課題について、簡単にご説明いただけますか。

中堅・中小企業は少子高齢化を背景とした採用難により、慢性的な人手不足が続いています。

近年、その影響が人手不足関連倒産という形で表面化しています。2025年4月に発表された東京商工リサーチの調査結果によると、2024年度の人手不足関連倒産は前年度比60.9%増の309件と過去最多を記録しました。そのうち資本金1,000万円未満の企業が65.0%を占めており、中堅・中小企業の厳しい現実を物語っています。

背景には、採用難、従業員の退職など、複数の要因がありますが、インフレや働き方改革の影響で人件費総額や労務コストが増し、従来のように「給与を上げて引き留める」という手法が取りづらくなっているのが実情です。

──大企業は賃上げで人手不足に対応していますが、中堅・中小企業には難しい面があります。有効な手だてはあるのでしょうか。

よく耳にするのが、「賃上げできなければ人は辞めてしまう」という話です。もちろん、賃上げには一定の効果があります。ただ、ある水準を超えると、それ以上の満足感やモチベーションにはつながりにくいという指摘もあります。

だからこそ企業は、賃上げだけに頼るのではなく、「働きがい」や「会社との関係性」といった部分をどう高めていくかにも注力すべきです。

実際、厚生労働省の調査によると、「働きがい」や「働きやすさ」を感じると回答した従業員の方が、勤務継続の意向が高く、離職率も低い傾向にあります。

そこで注目されているのが「第三の賃上げ」です。定期昇給やベースアップとは異なり、福利厚生や生活支援で待遇を改善する考え方です。

例えば食費補助は、一定の条件を満たせば非課税で支給できます。給与として支払うよりも、手取りが増える可能性があり、従業員の生活の安定にもつながります。

企業にとっても、福利厚生費は損金計上でき、導入しやすく費用対効果も高い取り組みです。

さらに、福利厚生のメニューによっては社員の生活面での満足度も高まりやすく、「会社が自分の暮らしを理解してくれている」と感じてもらえる効果もあります。通勤支援、健康診断の充実といった施策は、社員本人だけでなく家族の安心にもつながり、企業への信頼感を醸成する要素になります。こうした積み重ねが社員のエンゲージメント向上や離職防止につながります。

第三の賃上げにとどまらない、さまざまな「非金銭的報酬制度」

──他にも、人材定着に効く非金銭的な制度はありますか。

「働きがい」や「会社との関係性」を高めるうえで、非金銭的報酬制度には多くの選択肢があります。

例えば、表彰制度です。評価基準や形式は自由に設計できます。個人だけでなく、チームや部署単位での表彰も可能ですし、成果だけでなくプロセスも評価すれば、より多くの社員のやる気を引き出せます。

社員同士が感謝を伝え合う「サンクスカード制度」も、導入しやすく効果的です。感謝の文化が根づけば、職場の雰囲気が良くなり、離職率の低下につながります。

メンター制度も有効です。直属の上司ではなく、他部署の先輩社員が相談役・指南役になることで、心理的安心感が生まれ、キャリア形成や離職防止につながります。

ベースアップなどの金銭的報酬は社会情勢に左右されやすい一方、非金銭的報酬は自社の判断で自由に設計でき、企業規模も問いません。自社の文化や社員のニーズに合った制度を工夫して検討してみてください。

参考:オリックスグループの非金銭的報酬制度
オリックスでは若手社員の組織定着を目的に、以下のような制度を整備。

「ORIX Rookie’s Challenge」
新入社員が希望する部署への配属に応募・チャレンジできる機会を提供する制度。

「新入社員メンタリングプログラム」
新入社員と他部門の先輩社員との定期的な面談を通じて成長をサポート。接する機会の少ない他部門の社員との対話を通じて、会社理解やキャリアの視野拡大を図り、成長を支えることで、安心してキャリアを築ける環境を提供。

──どの制度も社内コミュニケーションの活性化につながる共通点がありますね。

おっしゃる通りです。人事担当者向け中途採用支援サイト『エン 人事のミカタ』が2016年に行った調査でも、企業が有効と考えるリテンション(社員の定着)・マネジメント施策として、「社内コミュニケーションの活性化」が「待遇改善」を上回り1位となりました。

サンクスカード制度やメンター制度はもちろんのこと、表彰制度も一種の社内コミュニケーション施策です。

新入社員研修を年1回から毎月開催に切り替えた企業では、退職率が大きく下がったという事例もあります。社内コミュニケーションは定着率を高める重要なカギです。

制度を形骸化させないために必要な視点とは

──第三の賃上げや非金銭的報酬を効果的に機能させるために、経営層や管理職が意識すべきポイントを教えてください。

福利厚生を充実させるにしても、キャリア支援などを行うにしても、最終的な受益者は社員です。企業が良いと考えても、社員がそう感じなければ意味がありません。まずは、社員のニーズを正しく把握することが重要です。

そのためには、社員の声を吸い上げる仕組みづくりが必要です。具体的には、職場懇談会や1on1ミーティングなどが有効です。

職場懇談会は、社員と管理職が課やチーム単位で集まり、業務や職場環境について意見交換を行う場です。テーマを明確にし、話しやすい雰囲気をつくること。そして出された意見は、議事録にまとめてイントラネットなどで社内に共有し、検討状況や対応方針まで伝えることが大切です。意見が反映されないと、モチベーションが下がります。

1on1ミーティングは、上司と部下が定期的に1対1で面談する機会です。進捗確認だけでなく、キャリアや職場の悩み、制度に関する意見などを聞く場として活用できます。

──導入した制度の効果を見極めるには、どんな方法がありますか。

制度は導入して終わりではありません。効果の“見える化”も重要です。例えば、エンゲージメント調査を定期的に行い、導入前後のモチベーションや満足度を比較すれば、定量評価できます。

制度導入後に簡単なアンケートを実施するのも良い方法です。実際に使ってみてどうだったか、期待通りか、改善してほしい点は何かなど、率直な声を集めましょう。

また、可能であれば退職者への面談時に「制度についてどう感じていたか」を尋ねてみてください。そこから課題や改善点が見え、アルムナイ採用(一度退職した社員を再雇用する採用手法)につながる可能性もあります。

こうした定性的・定量的な視点を組み合わせることで、制度を企業文化に根づく“資産”にすることができます。

中堅・中小企業には、こうした改善のサイクルをスピーディーに回せる柔軟性があります。小さく始め、社員の声を聞きながら育てる強みを生かしてください。

山本寛(やまもと・ひろし)

青山学院大学名誉教授

早稲田大学政治経済学部卒業。銀行、市役所に勤務、大学院を経て大学教員となる。現在、青山学院大学名誉教授(キャリアデザイン論担当)。専門は働く人のキャリアとそれに関わる組織のマネジメント。『働く人の専門性と専門性意識-組織の専門性マネジメントの観点から』(創成社)、『連鎖退職』(日本経済新聞出版社)など著書多数。

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