[監修]一般社団法人日本インバウンド連合会理事長 中村 好明氏
本記事は2024年9月時点の情報を基に作成しています。
コロナ禍の収束後、急速に高まるインバウンド需要に対し、大きな期待を寄せる国内産業。しかもインバウンドの恩恵は観光業の枠を超えて、多くの産業にメリットを与える可能性を見せている。インバウンド対策は、大企業のみならず、中堅・中小企業にとっても急務になりつつある。
中堅・中小企業がインバウンド需要を取り込むには、どのような対策が効果的なのか。補助金・助成金など、行政制度をどのように活用すればよいのか。
かつて大手総合ディスカウントストアの社長室ゼネラルマネージャー兼インバウンドプロジェクトの責任者を務めた経験を持ち、現在は一般社団法人日本インバウンド連合会理事長として日本各地のインバウンド振興に取り組む中村 好明氏に話を伺った。
日本におけるインバウンドの最新動向と特徴
――はじめに、日本をとりまくインバウンドの現状についてお聞かせください。
最新動向を解説するにあたり、まずは「インバウンド」という言葉の意味、定義についてお話しします。
日本人の多くは「インバウンド=訪日外国人観光市場」と考えているでしょう。しかしこれは日本国内だけの常識で、海外では通用しません。世界の常識に従えば、本来は「日本のインバウンド=日本に入ってくる人、物、資本、情報など全て」と定義すべきなのです。つまり、対日投資や外国人労働者の就労、国際結婚、国際交流、日本の大学への留学まで、どれもインバウンドです。
訪日外国人観光市場は「狭義のインバウンド」でしかありません。「広義のインバウンド」に目を向けることでようやく、インバウンドの本質を捉えられるわけなのです。
日本の企業の中には、「うちは観光業ではないのでインバウンドは関係がない」と自らシャッターを下ろしてしまうところがあります。ところが広義のインバウンドを意識すると途端に、ほぼ全ての事業者にとって、インバウンドが身近なビジネスチャンスであることが分かるでしょう。
さらに大切なのは、インバウンドが短期間の一時的なものではないということです。例えば日本の大学に留学してきた学生が、いったん帰国後、また来日して大学卒業後も日本で働いたり、帰国しても本国で日本企業とビジネスでつながったりすれば、人の交流や資金の流れはずっと続きます。
これを私は「ループバウンド」と呼んでいます。広義のインバウンドは必ず、ループ(円環)状のサイクルとしてつながっていきます。日本企業はこのようなループを作り出し、維持・発展させていくことを考えるべき時期に来ています。
――データから見たインバウンド需要のインパクトについても、お聞かせいただけますか。
日本政府観光局が発表した「2024年7月訪日外客数」をご覧ください。329万2500人で、前年同月比では41.9%増、コロナ禍以前の2019年との同月比でも10.1%増となっています。このままのペースなら、年間の訪日外客数は3500~3600万人になると推定されます。その消費動向は第1四半期ですでに2兆1370億円。これも単純計算すると年間で8兆6000億円に達します。日本経済への影響も非常に大きくなります。
また、日本政府観光局が発表した訪日外客数の中には、観光(レジャー)目的以外で訪れている人々、つまりビジネスやMICE(企業等の会議[Meeting]、企業等の行う報奨・研修旅行[Incentive Travel]、国際機関・団体、学会等が行う国際会議[Convention]、展示会・見本市、イベント[Exhibition/Event]の頭文字のことであり、多くの集客交流が見込まれるビジネスイベントなどの総称)、国際的なスポーツ大会への参加者、友人親族訪問の訪日客など、多様な属性が含まれていることは留意すべきです。
訪日外客数を地域別で見ると、コロナ禍以前の2019年は中国が最大。それが2024年には3割程度減少しました。一方で注目すべきはシンガポール、マレーシア、インドネシア、フィリピンなどです。国ごとで見るとまだまだ大きいとは言えませんが、ASEAN(東南アジア諸国連合)というくくりで捉えると、一定のシェアを占めるようになってきています。このほか、米国やカナダ、メキシコ、欧州、中東など、訪日外客地域が着実に広がっていることも分かります。
――日本を訪れる外国人の国や地域が多様化しているということですね。どのような影響が考えられますか。
特に課題として浮上するのは「食」の対応です。例えば北米や欧州にはベジタリアンやビーガンの人も少なくありません。また台湾にも、宗教的な理由から「素食」と呼ばれるベジタリアンの人がいます。加えてシンガポール、マレーシア、インドネシアにはイスラム教徒も多いです。
ところが、このような人たちが利用できる飲食店が日本には少ない。首都圏・京阪神などの大都市圏であればハラルやベジタリアンに対応した店もありますが、その他地域ではかなり限定的なものになります。日本は食のダイバーシティ化が遅れていると言わざるを得ません。このあとお話ししますが、この問題にいち早く着目し、対策を打つことで事業の成長につなげた企業が存在します。
インバウンド需要増が中小企業にもたらす好機とは
――中小企業にとってインバウンド市場にはどのようなチャンスがありますか。観光業以外の業種も含めてお聞かせください。
広義のインバウンドで考えると、さまざまなビジネスチャンスが見えてきます。例えば「越境EC(電子商取引)」などもインバウンドの一つの重要領域です。
私の知人のある飲食店では、自店のタレやドレッシングを、海外出身の方から売ってほしいと言われ、コロナ禍の最中にネット通販事業に乗り出しました。今やこれらを海外の顧客に届けるまでになっています。もともとは物販など考えていなかったそうです。業種業態の枠、国境の垣根を越えてチャンスを拡大しているわけです。
B2Cの企業だけではありません。B2Bの企業が海外のビジネスパーソンを迎え入れている例もあります。例えば中国の企業経営者は日本の老舗企業や先進技術を持つ企業に非常に関心を持っており、視察旅行のニーズが高まっています。このような産業視察および交流会を「テクニカルビジット」と言います。
――中小企業がインバウンド需要を業績アップに結びつけた成功例はありますか?
愛知県の味噌煮込みうどん店「大久手山本屋」は、ハラルやビーガンに対応した料理で訪日外国人からの人気を集めています。5代目の青木 裕典氏は、ムスリムやベジタリアン、ビーガンの知人から味噌煮込みうどんが食べられないと言われたことがきっかけで、メニュー開発を始めたそうです。
先代やベテランの調理人を説得しながら、ハラル対応の食材を利用したメニューを考案したり、キノコや昆布を利用してだしを作る方法を編み出したりと、相当な試行錯誤を重ねたとのこと。それが功を奏し、評判は口コミで広がり、全国から、そしてコロナ禍明けの時期からは海外からも訪日客が来店するまでになりました。
さらに香港やインドネシアから声がかかり、出店もしています。まさにインバウンド対応から海外進出につながり、ループバウンド化を成し遂げた好事例と言えるでしょう。
あるいは、宮城県に「蔵王山水苑」という天然温泉付きのリゾート分譲地があります。別荘地のリゾートマンションは民泊禁止というところが多いのですが、ここでは貸別荘運営会社の株式会社ガイアが、古いリゾート物件を買い取る、あるいは物件オーナーの了承を得てリノベーションし、民泊事業を行っています。
背景にあったのは、オーナーの高齢化が進む中、このままではリゾート地そのものが生き残れないという危機感でした。当初、多くの物件オーナーは不安視していたそうですが、訪日外国人が増え国際リゾート地化していたこともあり、めったに利用しない別荘を自分が使わないときに国内外の旅行者に貸し出して民泊活用すれば現金収入が得られると提案したところ、賛同する方々が増えていったそうです。
その結果、世界中からのインバウンド需要が高まり、物件オーナーに限らず、地元の電気店、内装業者、工務店、飲食店などの事業者も仕事が増えるようになりました。まさに広義のインバウンドが実現しています。
――地域や同業他社と連携した展開がインバウンド対応成功の鍵を握る、ということでしょうか。中小企業が地域、同業他社と連携していくポイントについて教えてください。
日本では昔から市役所などの行政機関は隣の市町をいわば同業の「ライバル」とみなしがちで、なかなか連携ができていませんでした。これは今でも変わらないのですが、民間企業が同じ轍(てつ)を踏む必要はありません。同業でも異業種でも、会いたい人がいれば積極的に行動することが大切です。
もちろん、どこから始めたらいいか分からないという中小企業も多いでしょう。私が勧めているのは、まずは地元の市役所や区役所、商工会議所などの訪問です。例えば商工会議所には経営相談員がいますし、会員になれば、外部から中小企業診断士や税理士などを招いた無償のアドバイスも行われます。
いきなりインバウンド市場に挑戦するのではなく、事前の国内市場における販路拡大や経営分析・改善に取り組んだり、地元ですでにインバウンド対応をしている先輩企業を紹介してもらったりするところから始めてはどうでしょうか。
インバウンドを過度に特殊な領域と捉えずに、自社のファン層拡大のための一つのマーケット、一つのチャネルと考えて、できることからやっていくべきです。
――大企業に比べ、中小企業は人的リソースが限られている場合も多いようです。どのように対応をしていけばよいでしょうか。
中小企業が自社だけで全部解決するのは容易ではありません。思い切って外部の力を借りるのも有効な方法です。
コロナ禍以降は、副業や兼業、在宅勤務など、多様な働き方が広まってきました。例えば、副業で英語翻訳・英語通訳を行っている人も珍しくありません。会社案内やサービスメニューを英訳したければ、そういう方にお願いするという手があります。
最近では、ワーキングホリデーなどを経験した若者で、帰国後は語学力を生かして地方のインバウンド関連ビジネスで働きたいと考える人もいます。そんな人たちに協力してもらうこともできるでしょう。
またスマートフォンの音声翻訳アプリの使い勝手も飛躍的に向上しています。各種デジタルツールの活用も、積極的に進めたいところです。
そういったデジタルツールなどの使い方も、地域の商工会議所などに行けば教えてくれます。同じ悩みを持つ経営者やすでに活用している地元の先輩経営者などにも直接会ってみるといいでしょう。
中小企業も積極活用を!インバウンド対応関連補助金
――観光庁や自治体などが用意するインバウンド関連の補助金・助成金制度もさまざまあるようです。中小企業がぜひ活用すべき制度や活用法をお聞かせください。
インバウンドに特化した補助金・助成金に限定せずとも、最近では多くの補助金・助成金制度がインバウンドを視野に入れた支援策になっています。自社がどのように成長したいのかを見据えた上で、不足している部分があれば支援を受けるという考え方がいいでしょう。
例を挙げると、独立行政法人中小企業基盤整備機構では、事業の立ち上げから販路拡大、マッチング、事業承継まで、さまざまなメニューを用意し支援を行っています。
また、地元で新たな事業を始めようとする中小企業が便利に利用できるのが、総務省による「ローカル10000プロジェクト」です。民間事業者の初期投資費用(施設整備・改修費、備品費など)を補助するもので、地方銀行等からの融資額と同額程度の補助が受けられます。交付額の上限は最大5000万円です。
これらの補助金の種類や内容などについても、商工会議所や地域の行政機関で案内をしていますので、訪問してみるといいでしょう。
――最後に、インバウンド市場で成長を目指す中小企業にメッセージをお願いします。
狭義のインバウンドにこだわって目先の短期的な収益を得るだけではなく、「ループバウンド」の仕組みを作ることの方が大切です。その点では、インバウンドは最終ゴールではなく、スタートです。見方を変えれば、狭義のインバウンドにとどまらず、広義のインバウンド、さらにはループバウンドへと、ビジネスが持続的に大きく拡大するチャンスがあるのです。
日本は少子高齢化で市場が縮小していると言われますが、外国の方から見れば各地に魅力的なものが数多くあります。中小企業の皆さんには、ぜひシビックプライド(自地域の未来を創るのは、ほかでもない、わが社であるという使命感)を持って、自分たちならではの商品・サービスを再発見したり生み出したりして、大きく持続的に成長していただきたいですね。