
[監修] 特定非営利活動法人 健康経営研究会 理事長 岡田 邦夫
本記事は2025年10月時点の情報を基に作成しています。
経営課題として「健康経営」に向き合うかどうかが、企業の明暗を分ける──そんな認識が、近年急速に広がりつつあります。少子高齢化が進む中、企業が「人」の力を最大限に引き出すためには、経営者や従業員が心身ともに健康であることが不可欠です。こうした考え方を長年にわたり実践・発信してきたのが、特定非営利活動法人 健康経営研究会の理事長を務める岡田 邦夫氏です。産業医としての豊富な経験を持つ岡田氏に、健康経営が注目されるようになった背景や企業にもたらすメリット、そして中堅・中小企業が無理なく取り組むための実践ポイントについて伺いました。
健康経営とは、企業の持続的成長に不可欠な「経営戦略」である

──まずは「健康経営」とは何か、簡単にご説明いただけますか
岡田氏:「企業が従業員等の健康管理を経営戦略として位置づけ、実践すること」です。
日本では健康診断の実施が法律で事業者に義務付けられており、産業医の選任や保健指導など、企業は従業員の健康管理に相当の時間とコストをかけています。本来であれば、その投資が業績や生産性、離職率の改善といった経営指標にどのように結びついているかを把握し、経営的な視点で検証していく必要があります。しかし、これまでは「義務だからやる」という法令遵守の発想にとどまり、取り組みと経営成果の関係が十分に意識されてきませんでした。
そこで生まれたのが「健康経営」という考え方です。健康への取り組みを企業価値向上のための戦略として捉え直す発想であり、人材採用の強化や生産性向上に資する経営手法として、近年注目を集めています。

──ここにきて「健康経営」の考え方が注目されるようになったのはなぜですか。
岡田氏:一番の要因は、少子高齢化の進行と、それに伴う人材不足の深刻化です。少子高齢化の進行によって、人材確保と生産性の維持は今後ますます難しくなります。中堅・中小企業は特に、その影響を強く受けるでしょう。
人手不足が進めば、60代、70代になっても元気に働き続けてもらうことが前提となる時代が到来します。しかし、長年の勤労によってノウハウを持つ従業員が、生活習慣病などの重い病気やメンタルの不調を抱えていたらどうなるでしょうか。勤務時間や担当業務を制限せざるを得ず、本人のパフォーマンス低下に伴い、組織全体の生産性が大きく低下します。
こうした事態を避けるために重要なのが、「病気になってから治す」のではなく「病気になる前に対策する」という予防医療の発想です。昨今、予防医療の考え方が浸透しつつありますが、企業経営においても同じことが言えます。
──視野を広げてみると、「健康経営」は企業が生き残る条件そのものになりつつある、ということでしょうか。
その通りです。これからの時代に生き残るのは、世界全体の環境変化に柔軟に対応できる企業です。健康経営への取り組みは、そうした「変化に適応できる企業」への転換を促す、重要な経営テーマだといえるでしょう。
さらに、「健康経営」に取り組んでいないこと自体が、取引上・競争上のリスクやデメリットになるケースも増えています。特に大企業を中心に、サプライチェーン全体の健全性や持続可能性を重視する動きが強まっており、取引先に対しても健康経営の実践状況を確認するのが当たり前になりつつあります。
本気度を可視化する「健康経営優良法人認定制度」

──そうした流れの中で、「健康経営優良法人認定制度」という制度も創設されました。
岡田氏:そうですね。企業が健康経営へ本格的に関心を持つターニングポイントとなったのが、経済産業省が主導する認定制度です。
まず2014年度に、東証上場企業を対象とした「健康経営銘柄」という制度が始まりました。その後、健康経営の裾野を広げるため、2016年度に未上場企業や中堅・中小企業など、より幅広い組織を対象とした「健康経営優良法人認定制度」が創設されました。
これらの制度は、医療費の増大や生産性低下といった社会課題を背景に、従業員の健康管理を経営視点で実践する企業を後押しする国家的な戦略から生まれています。
企業が認定を受ける最大のメリットの一つが、人材採用力の向上です。認定を受けると、ハローワークに「健康経営優良法人」として登録できるほか、名刺や採用パンフレット、公式Webサイトなどに専用のロゴマークを使用できます。その他にも、保険料の割引や融資条件の優遇、入管手続きの簡素化、公共事業入札での加点など、健康経営を後押しするさまざまな支援策が整えられてきました。
就職希望者の側から見ても、安心して働ける会社かどうかの判断材料になり、入社意欲の向上が期待されます。
──健康経営優良法人の認定取得に向けて、具体的にどんな体制や準備が必要ですか。
岡田氏:まずは経営者が、「わが社は健康経営に取り組んでいます」というメッセージを、公式Webサイトなどを通じて社内外に明確に発信することが重要です。同時に、経営者自身がきちんと健康診断を受け、健康管理に向き合っていることも求められます。
その上で、社内で取り組みを推進する担当者や責任部署を明確にします。さらに、加入している健康保険組合と連携し、体制を整えることも欠かせません。こうした要素がそろうと、健康経営優良法人認定取得に向けた基本的な土台が整います。
加えて、健康診断の受診率を100%にできているか、ストレスチェックを適切に実施しているか、未払い残業や過重労働がないかなど、企業規模ごとに求められる法令を確実に遵守していることが前提になります。その上で、各社の特性や社風に合わせた健康増進策に取り組んでいくことになります。
「健康経営」成功の秘訣は、経営者自ら健康管理にコミットする姿勢

──「健康経営」を実践する上でのポイントは何でしょうか。
岡田氏:難しく考える必要はありません。まずは、経営者自身が健康意識を高めるところから始めてください。特に中堅・中小企業では、経営者の行動や価値観が従業員に伝わりやすいものです。
具体的には、喫煙や飲酒を控える、適度に運動する、朝食を抜かない、十分に眠るといった基本的な生活習慣を整えた上で、「健康を大事にする」というメッセージを日頃から発信することです。その積み重ねが、結果として健康経営の土台になっていきます。
そもそも経営者の健康状態そのものが、会社にとって大きなリスク要因になります。特に中堅・中小企業では、経営者が倒れれば、そのまま経営危機につながりかねません。自分の健康を守ることは、企業の持続性を守ることでもある、と捉えていただきたいですね。
──取り組みの成功事例があれば教えてください。
岡田氏:トップ自らが模範を示すことの効果を象徴する事例があります。ある中小企業では、経営者が自ら健康診断を欠かさず受診し、その結果を踏まえて生活習慣を改善する姿勢をあえて社内にオープンにしました。健康の話題を日常の会話の中に織り交ぜ、「自分も社員と同じ立場で一緒に取り組んでいる」というスタンスを示したのです。
その結果、「健康は会社として大事にしているテーマなのだ」というメッセージが自然と社員に伝わり、健康診断の受診率が上昇し、長期の病気休職や突然の離職も減りました。最もシンプルでありながら、効果の高い健康経営の実践例といえるでしょう。
また、経営者がマラソンを始めたことをきっかけに、健康経営にシフトした企業もあります。社内で一緒に走るメンバーを募り、会社がフィットネスクラブの利用を補助するなど取り組みを広げた結果、運動習慣が社内に根付き、自治体から表彰されるまでになりました。
健康経営がうまくいっている企業を見ていると、「経営者自ら考えた取り組み」を実践しているケースが多いと感じます。私たち専門家が用意したプログラムも有効ですが、自社の実情や文化に合わせて工夫したオリジナル施策の方が、成果につながりやすいのでしょう。
──最後に、中堅・中小企業の経営者の方々にメッセージをお願いいたします。
岡田氏:良い商品やサービスの裏側には、必ず質の高い労働があります。その土台となるのが、一人ひとりが安心して力を発揮できる職場環境です。体調や持病の有無にかかわらず、必要な支援や配慮のもとで働き続けられる状態を整えることは、企業の力である「人」の力を高めることにつながります。健康への投資は、まさに人的資本経営そのものといえるでしょう。
健康経営は、大がかりな制度づくりから始める必要はありません。まずは経営者自身が「健康を経営課題として扱う」と決めて、一歩を踏み出すことです。その姿勢に、社員は必ずついてきます。
参考:オリックスグループの会員制医療サービス

オリックスグループでは、中小企業の経営者の方などを対象に、会員制医療サービスを展開している。
医療機関向け経営支援を行うグループ会社 株式会社CMCが「セントラルメディカルクラブ世田谷」を運営。PET-CTやMRIなど先進的な画像診断機器を備え、三大疾病(がん・心疾患・脳血管疾患)を中心に人間ドックなどの予防医療サービスを提供している。
会員にはコンシェルジュが付き、検査案内や健康データの管理、日常の健康相談をきめ細やかにサポート。会員専用ラウンジや個室も備え、プライバシーに配慮した上質な空間を提供。多忙な経営者が日常の喧騒を離れ、自分の健康と向き合える、安心感と品位に満ちた環境を整えている。

岡田 邦夫(おかだ・くにお)
特定非営利活動法人 健康経営研究会 理事長
大阪市立大学大学院医学研究科修了(医学博士)。大阪ガス株式会社産業医、健康開発センター健康管理医長を経て1996年より同社統括産業医に就任。2014年度厚生労働省「ストレスチェック制度に関わる情報管理及び不利益取扱い等に関する検討会」委員、大阪府医師会「健康スポーツ医学委員会」委員長をはじめとして各方面で幅広く委員を歴任。著書に『安全配慮義務 判例とその意義 ―産業保健スタッフのためのリスクマネジメント―』(公益財団法人 産業医学振興財団)、『「健康経営」推進ガイドブック』(経団連出版)など多数。