オリックスの歴史

1960年代

新しい金融手法「リース」を日本へ導入。いざなぎ景気にのり、企業基盤を確立

1964年4月、日本でのリース産業の将来性に着目した日綿実業(現 双日)と三和銀行(現 三菱UFJ銀行)は、日商、岩井産業(両社は合併して現 双日)の2商社と、東洋信託銀行(現 三菱UFJ信託銀行)、日本勧業銀行(現 みずほ銀行)、神戸銀行(現 三井住友銀行)、日本興業銀行(現 みずほ銀行)の4銀行の参加を得て、3商社、5銀行により、オリエント・リース(株)(現 オリックス(株))を設立しました。

設立時の社員は13人で、米国のU.S.リーシング社からリースビジネスを学び、米国から帰国したばかりの宮内義彦(現 シニア・チェアマン)もそのメンバーの一人でした。

1960年代後半から1970年代前半の経済成長期(「いざなぎ景気」)に、オリックスは新しい金融手法であったリースをパイオニアとして日本に導入することで、企業基盤を確立しました。

「いざなぎ景気」に伴い、産業界の設備投資は増大、リース業も活況を呈し、リース会社の第一次設立ラッシュが起こったのもこの頃です。代表取締役社長である乾恒雄(代表取締役社長在職期間1967年から1980年)のリーダーシップのもと、リース資産を順調に積み上げるとともに、営業拠点の拡充を図ることで、商社など株主会社経由を主体とした営業スタイルから直接取引へと自主独立路線の基礎を築きました。

そして、創業から6年後の1970年4月には、大阪証券取引所第二部に、1973年2月には、東証、大証、名証市場第一部に株式を上場しました。

左から、乾恒雄(故 名誉会長)、宮内義彦(現 シニア・チェアマン)、リース事業のノウハウ取得に協力してくれたU.S.リーシング社のショーンフェルド氏。
左から、乾恒雄(故 名誉会長)、宮内義彦(現 シニア・チェアマン)、リース事業のノウハウ取得に協力してくれたU.S.リーシング社のショーンフェルド氏。
1970年、大証上場日の新聞全面広告
1970年、大証上場日の新聞全面広告

1970年代

石油ショックという激動の時代を乗り越え、多角化・国際化を推進

リース業界が徐々に成熟期に入り始めた1970年代、2度の石油ショック(1973年、1979年)が日本経済を襲い、設備投資は減少、為替レートの変動性も高まりました。

このような環境にもかかわらず、オリックスは、国内では商品やサービスを多角化することで順調に成長を続け、貸付金やコンピューターのオペレーティングリース、そして船舶リース、航空機リースにも進出しました。

また、専門リース会社の設立も推進し、1972年には店舗のインテリアを扱うオリエント・リース・インテリア(株)(現在はオリックス(株)に業務統合)、1973年には車を扱うオリエント・オート・リース(株)(現 オリックス自動車(株))、そして1976年には日本最初の電子計測器のレンタルを扱うオリエント測器レンタル(現 オリックス・レンテック(株))を設立。さらに個人分野への進出の先兵として、1979年には信販会社のファミリー信販(株)(現 オリックス・クレジット(株)、現在は消費性ローンに特化)を設立しました。

一方、積極的に海外展開も行い、1971年に香港に初の海外現地法人を設立したのを皮切りに、1972年シンガポール、1973年マレーシア、1975年韓国、インドネシア、1977年フィリピン、1978年タイと毎年のように現地法人を設立していきました。

1972年、シンガポール現地法人の地元銀行2行との合併調印式にて。
1972年、シンガポール現地法人の地元銀行2行との合併調印式にて。

1980年代

本格的なグループ経営を始め、多角的な金融サービス業へテンポを加速

1980年代は、リース業界への新規参入が相次ぎ、競争が激化しました。既存のリース会社はリース物件に付帯する各種サービスの提供と同時に、海外展開にも注力してきました。オリックスは、スリランカ、台湾、中国、オーストラリアやニュージーランド、そしてパキスタンにも進出、以降のアジア・中東での基盤の礎を築いた時期となりました。

オリックスは、1980年に乾恒雄に代わって、宮内義彦(現 シニア・チェアマン)が代表取締役社長に就任。時代の流れに即応していくためには、これまで以上に部門間、グループ会社間の情報伝達、協力体制が強固でなくてはならないという考えのもと、新社長の経営方針として「グループ経営の強化」を掲げました。お客さまに対し、さまざまな商品やサービスを複合的にご提供していくという戦略もこの「グループ経営の強化」から生まれており、今日でもオリックスの基本戦略のひとつとなっています。

1980年、宮内義彦の社長就任披露パーティーにて。
1980年、宮内義彦の社長就任披露パーティーにて。当時、宮内は45歳。

また、1980年には住宅ローン業務および汎用機器課(現 OQL営業部)の設立によりクイックリースに進出しました。
1983年にはベンチャーキャピタルを行うオリエント・キャピタル(株)(現 オリックス・キャピタル(株))、1985年にバジェット・レンタカー(株)(現 オリックス自動車(株))を設立。1986年に後の不動産事業の礎となる独身寮賃貸事業にも進出し、事業領域を拡大しました。
この頃から新しい経営戦略としてM&Aも積極的に取り入れ、1986年には茜証券(株)(1995年オリックス証券に社名変更、2010年マネックス証券(株)と合併)や不動産の賃貸・運営会社である大阪市岡(現 オリックス・インテリア)に資本参加するなど、さらに多角化を推進しました。

そして1989年、国際的かつ多角的な金融サービス業を展開している実態にあわせると同時にグループ各社の結びつきをより一層強めるため、グループCIを導入。オリエント・リース(株)からオリックス(株)へ社名を変更しました。前年の1988年には阪急ブレーブス(現 オリックス・バファローズ)を買収し、プロ野球球団経営に進出。知名度の向上とグループの求心力として貢献しています。

1988年、阪急ブレーブス買収記者会見
1988年、阪急ブレーブス買収記者会見

1990年代

ユニークな商品・サービスで新規事業分野を拡大

1990年代、バブル経済の崩壊から日本経済は停滞期に入り、特にその後半は金融不安も生じましたが、オリックスは事業を拡大し続けました。

1991年にはオリックス生命保険(株)を設立し、生命保険事業に参入しました。また1997年、リース債権を譲り受け、1999年にはオリックス債権回収(株)を設立。そして証券化を前提とした国内初のノンリコースローンを実行するなど、2000年代で大きく飛躍する投資銀行業務を展開し始めたのもこの時期です。

一方で、1990年代はリテールビジネスに注力を始めた時期でもあります。オリックス生命保険(株)では、1997年9月に通信販売という画期的なスタイルでの生命保険販売を開始しました。
また、1998年には山一信託銀行(株)(現 オリックス銀行(株))を買収し、現在ではインターネット専用の定期預金や不動産投資ローンなど、ユニークな商品を取り扱っています。

不動産関連ビジネスにおいては、1999年にオリックス・リアルエステート(株)(現 オリックス不動産(株))を設立し、1993年に開始したマンション分譲事業や、オフィスビル開発事業などを集約して不動産に関する専門性を追求しています。
また、1998年にはオリックス環境(株)を設立し、環境ビジネスも展開し始めました。
そして、1998年にはニューヨーク証券取引所に株式を上場、あえて厳しい規制があるSEC(米国証券取引委員会)のもとに身を置くことで、コーポレート・ガバナンスの強化にも努めてきました。

1998年、ニューヨーク証券取引所の上場日にオープニングベルを鳴らした宮内義彦。
1998年、ニューヨーク証券取引所の上場日にオープニングベルを鳴らした宮内義彦。

2000年代

最高益更新後、リーマン・ショックを乗り越え、新たなステージを迎える

2000年代は、オリックスのさまざまな両面展開が実を結びました。国内と海外という両面展開、法人向けビジネスと個人向けビジネスという両面展開、そしてアセットビジネスとフィービジネスという両面展開により堅固な収益基盤を構築しました。

特に、投資銀行業務の飛躍的な伸びが業績を牽引しました。サービシングノウハウを蓄積したオリックス債権回収(株)が受託残高を伸ばし、不動産のノンリコースローンも証券化の流れに乗り伸張。また、大型の企業再生に参画し、2000年に(株)あおぞら銀行へ出資、2005年には(株)大京に資本参加しました。そして、2003年にオリックスM&Aソリューションズ(株)(2016年8月譲渡)を設立、2006年には米国の投資銀行Houlihan Lokey Howard & Zukinを買収しました。
一方、2002年には環境エネルギー部を発足させるとともにオリックス資源循環(株)を設立するなど、低炭素社会に向け本格的にサービスを提供する体制を整えました。

THE TOKYO TOWERS
オリックス不動産が開発した「THE TOKYO TOWERS」

不動産の運営事業も積極的に展開。ゴルフ場、高齢者向け住宅、旅館・ホテル、サービスオフィスの運営など、多岐に渡って展開しました。

海外展開では、再度中国に進出。2004年、天津にレンタル会社、2005年に上海にリース会社を設立。2009年には、大連市に中国本社を設立しました。また、サウジアラビア、アラブ首長国連邦、カザフスタンにも現地法人を設立していきました。

業績面では、これらの施策が効を奏し、2004年3月期から2007年3月期まで4期連続で過去最高益を更新。2007年3月期には当期純利益1,965億円・グループ従業員数16,662人と大きな成長を果たし、多角的に事業を展開する「ほかにはない」ユニークな存在として認知していただけるようになりました。
その後、2007年の米国サブプライムローン問題に端を発した金融危機は、2008年9月のリーマン・ショック以降、資本市場の機能不全と急速な信用収縮を発生させました。オリックスは、この未曾有の金融危機に対して、「企業体質の強化」と「事業の再構築」に取り組み、国内外の大手金融機関が赤字計上を強いられる中、2009年3月期に当期純利益219億円と黒字を確保。そして、資産を拡大しながら収益をあげるという成長戦略を見直し、バランスシートをしっかり管理し、財務の安定性と経営の堅実性を重視するように舵を切りました。また、金融事業の量的拡大が見込みづらい環境であったことから付加価値に注力し、オリックス自動車の車両管理や運行管理、オリックス・レンテックの電子計測器やIT計測器の管理業務に代表されるような「金融+サービス」を加速させました。

LNG燃料転換ESCO事業により製薬会社工場内に導入したLNGサテライトタンク
LNG燃料転換ESCO事業により製薬会社工場内に導入したLNGサテライトタンク
中国本社(大連市)設立発表会見
中国本社(大連市)設立発表会見

2010年代

「金融+サービス」を加速させ、さらなる事業の多角化を推進

オリックスは「金融」と「モノ」の専門性を高めながら、隣へ、そのまた隣へと多角化を進め、2010年代は、「金融+サービス」の加速とともに、リースや融資といった金融事業から投資、さらには運営事業へと軸足を移し、非金融事業を拡大させています。

環境エネルギー事業では、2011年3月11日の東日本大震災をきっかけに、脱原子力や再生可能エネルギーへの取り組みへと社会の価値観が変化していくなか、バイオマス発電所が2011年9月に稼働し、2012年7月に始まった再生可能エネルギー固定価格買取制度の後押しを受け、メガソーラー事業、屋根設置型太陽光発電事業を開始。メガソーラー事業では、国内トップクラスの発電所を手掛けています。また、2013年には蓄電システムのレンタルサービスも開始しました。

枕崎空港跡地に建設したメガソーラー
枕崎空港跡地に建設したメガソーラー

不動産の運営事業では、「江の島水族館(現 新江ノ島水族館)」のPFI※1事業に参加して蓄積したノウハウを生かし、2012年に内陸型の「京都水族館」「すみだ水族館」を開業。2019年には、新たな旅館・ホテルの運営事業ブランドとして「ORIX HOTELS & RESORTS」を立ち上げ、不動産関連サービス・運営事業を拡大させています。

東京スカイツリータウン®内にオープンした「すみだ水族館」
東京スカイツリータウン®内にオープンした「すみだ水族館」

新規事業としては、2016年にコンセッション※2事業を開始。フランスの空港運営会社VINCI Airportsと共同で関西エアポートを設立し、関西国際空港、大阪国際空港、神戸空港の運営に携わっています。

また、金利収益が主だった金融事業においては、手数料収益の拡大を目指し、2013年7月にオランダのロッテルダムに本社を置く、資産運用会社Robeco Groep N.V.(現 ORIX Corporation Europe N.V.)をオランダの大手金融機関Rabobankより買収し、グローバルな資産運用事業に本格参入しました。

オリックスは、業種の枠を超え、世界にも類をみない独自のビジネスモデルを構築しています。「オリックス」が一つの業種として認められるよう、挑戦し続けています。

  1. 公共施設等に民間の資金やノウハウを活用して、民間主導で運営を行う手法
  2. 公共施設等運営権制度
関西国際空港、大阪国際空港の運営事業における新会社、関西エアポート㈱の設立と実施契約締結の共同記者会見
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