「ビームス」創業から47年"らしさ"継承への難題 設楽洋社長は「3年後75歳」で会社を譲ることを決断

[Publisher] 東洋経済新報社

この記事は、東洋経済新報社『東洋経済オンライン/執筆:川島蓉子』(初出日:2023年8月1日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。

創業から47年、ビームス「らしさ」の秘密とは(撮影:尾形文繁)

企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、実は社員でも言葉にして説明するのが難しいケースがあります。
いったい「らしさ」とは何なのか、それをどうやって担保しているのか。ブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫る連載の第12回は、アパレルブランド「ビームス」に迫ります。

ビームスらしさとは

ビームスが世に生まれ出たのは1976年のこと、原宿の明治通りに面した6.5坪の小さな店がスタートだった。「アメリカンライフショップビームス」という名で、服だけでなく、アメリカのライフスタイルを紹介したショップだったのだ。

それから50年弱。ビームスは大きな成長を遂げたが、その軌跡は、戦後から高度経済成長期、バブル景気とその崩壊、リーマンショック、その後のインバウンド景気、コロナ禍などを経てきたアパレル業界の趨勢と重なっている。

ビームスが手がけている領域は、アパレルに限らない。エンターテインメント関連の事業や、地域の活性化プロジェクトなど、ユニークな活動を展開している。

率いているのは、代表取締役社長を務める設楽洋さん。筆者がご縁を得たのは、1980年代の終わりのこと。スタートして10年あまりのビームスについて、未来に向けた夢を紡ぐ話に惹き込まれた。時代の先を読み、新しいことに挑戦していくのを心から楽しんでいる――折に触れ、話をうかがってきたのだ。

アパレルを取り巻く環境は、決して穏やかではない。半年ごとのトレンドにもとづき、生産から消費までのサイクルを回してきた業界のありよう、少子高齢化の中、大型商業施設に居並んでいる過剰とも言えるリアル店舗など、時代がターニングポイントを迎える中、解決・改革していかなければならない課題が山積している。

設楽さんは、これからのアパレル業界をどうとらえているのか、“ビームスらしさ”とは何なのか、どう伸ばしていこうとしているのか、諸々の話を聞いた。

服を売るのではなく、「ハッピー」を売る

「ビームスはそもそも、服を売るのではなく、『ハッピー』を売ることを標榜している会社です」と設楽さん。1976年の創業時から、その考えがブレるところはない。なぜ「ハッピー」なのかと聞いたところ、「ハッピーでいることが大好きだからです(笑)」と返ってきた。

幼い頃から、明るいことや楽しいことに強く惹かれてきた。仕事を通じ、ハッピーを多くの人に伝えたい、味わってもらいたいと思ってきた。創業の精神ともいえる考えを、21世紀に入った時、「Happy Life Solution Company」と文言化して企業理念に据えた。

「ビームスはそもそも、服を売るのではなく、『ハッピー』を売ることを標榜している会社です」と設楽社長(撮影:尾形文繁)

“らしさ”としての「ハッピー」を標榜して50年弱。創業メンバーである設楽さんは、この精神を次世代にどう伝えようとしているのか、代替わりについて聞いてみたら、「75歳で次の社長に譲ろうと決めています」ときっぱり。

「スタッフたちには定年があるのに、社長に定年がないのはおかしいと思い、3年ほど前に社長定年をもうけたのです。僕が75歳になる3年後は、ちょうどビームスが50周年と切りもいいので(笑)」

誰を次期社長にするのかをもう決めているのだろうか。「候補者はいますが、いろいろな観点から、もう少し見定める必要があるかと考えています」と慎重な答えが返ってきた。

アパレル業界では、戦後の高度経済成長期に産声を上げた企業が多く、創業者が社長を務めているところが少なくない。誰にどう未来を委ねるのか、“らしさ”をどう受け継いでいくのかは大きな課題でもある。

ビームスの“らしさ”はどのようにして生まれたのか。

設楽家はパッケージの製造をしていて、工場と住まいが隣接していた。従業員たちは住み込みで家族のような存在だった。「今でも僕が、ビームスのスタッフをファミリーと呼んでいるのは、そんなところにルーツがあるのかもしれません」(設楽さん)。

着るものはすべてお母さんの手作りで、「親父の服を仕立て直したり、おばあちゃんのニットを解いて編み直したり、僕の服はすべて母の手作りでした」――日本が経済成長を遂げ、暮らしの豊かさを実感していく中、設楽さんはアメリカの生活文化に強く憧れたという。

大学を卒業して就職したのは電通だった。「時代の先を見たいという強烈な欲求から、広告代理店に入ったのですが、モーターショーのプロジェクトなど、貴重な経験を積むことができました」。

一方、家業がオイルショックで不況に巻き込まれていく中、事業の多角化の一環として、小売りビジネスを手がけてみようとなり、設楽さんが高校時代からはまっていたファッションの領域で、小売店をやってみることになった。「時代の先を読むという意味で、ファッションは象徴的な存在でもあったのです」(設楽さん)。

時代をとらえるのに「勘」は大いなる要素

憧れていたアメリカの西海岸のもの――スニーカーやジーンズといった服飾関連に加え、スケートボードやロウソク立てなど、暮らしを取り巻くさまざまなものを買いつけて売ることにした。

「当時、憧れていたアメリカの、自由・平等・博愛精神の影響も受けていて、ここで働く人、関係する人に幸せになってほしい。服を売るにとどまらず、日本の若者の風俗や文化を変えたいと考えていたのです」(設楽さん)

その精神は今でも続いている。ビジネスの根幹にあるのは、「売る」というより、「何かを興したり伝えることで、多くの人がハッピーになってほしい」という思いにあるという。

そして「何かを興す」にはタイミングが大事であり、過去の経験や知恵を含めた「勘」が試される。「時代をとらえるのに『勘』は大いなる要素であり、そのためにミーハーであることは欠かせません」(設楽さん)。

子ども服やゴルフウェアなども手がける(撮影:尾形文繁)

ビームスの歴史を振り返ると、設楽さんが「新しい何かを興そう」とすると、必ず反対の声が上がってきた。

例えば、メンズからスタートしたビームスがレディースを手がける時、地方に出店する時、ファッションビルに出店する時、子ども服やゴルフウェアを始める時など、今となっては成功している事業ばかりなのだが、設楽さんが発案した時点では「ビームスがやるべきではない」という声が、社内の圧倒的多数派だったという。

「それぞれの時代で、それぞれの反対理由はあるのですが、根底に流れているのは、ファッションの世界で尖ったことをやっているのが“ビームスらしさ”というプライドのようなものです」(設楽さん)

では、そういう反対派の意見を、設楽さんはどうやって賛成に持っていくのか。「強引に押しつけるのはよくないと思っていて、相手の心が少し動くような理由を見つけ、そのためにやろうという方向に持っていくようにしています」。

例えば、地方に店を出す時は、「店が増えると、商品のバリエーションも量も増えるから、今まで以上に仕入れたいもの、作りたいものをかたちにすることができる」という話をして理解してもらった。やってみると“ビームスらしさ”を表現できるし、通用することがわかってもらえるのだという。

全社員の“自宅”に送った冊子

こういった“らしさ”は、ノウハウとして継承できるものではない。そのあたりを設楽さんはどう考えているのだろうか。「7年ほど前に、『ネクストビームス』という冊子を作り、全社員の自宅に送ったことがあります」。ビームスのDNAを踏まえながら、未来に向けて進む方向について、言葉とビジュアルで表現したのだ。

全社員の自宅に送ったという『ネクストビームス』(撮影:尾形文繁)

ページを繰っていくと、言葉とビジュアルが一体となり、心身に伝わってくる――「それなりの規模の会社になり、思いがダイレクトに伝わりにくくなっている。だから全社員の自宅に、社長としての僕の思いを直に届ける、そんなやり方もありと思ったのです」。社長の名前で自宅に冊子が届いたら「何だろう?」と目を通す。メッセージが体温をともなって伝わるに違いない。

「あの時とやり方は変えますが、次世代に継承するにあたり、ビームスが何を残し、何を変えていいかというところを、今、整理しつつあります。いずれこれを、何らかのかたちにして伝えようと考えています」(設楽さん)

『ネクストビームス』は、ビームスのDNAを踏まえながら、未来に向けて進む方向について、言葉とビジュアルで表現している(撮影:尾形文繁)

コロナ禍は、アパレル業界に大きな爪痕を残した。半年というサイクルの中で大量にものを作り、売れ残ったら長期にわたってセールにかける。残ったものは、最終的に廃棄する、という業界全体として回していたシステムに対し、厳しい評価を受けるようになったのだ。

「『このままではいけない』と業界が薄々気づいていたことを、抜本的に見直す機会になりました。うちは仕入れの精度を上げ、セール時期を遅らせ、かつ短くしつつ、話題性のあるプロパー商品を同時期に投入するなどして、売上は落ちたものの利益が上がり、過去最高益を出すことができたのです」(設楽さん)

適量を生産し、正価で価値を感じる人に届けて売り切る。本質的なビジネスを徹底していくことが、結果的に利益に結びつく。今後もそこを追求していくという。

また、設楽さんは、アパレル以外の領域や、BtoBビジネスをもっと広げていくべきと考えてきたが、ファッション小売がビームスの主軸という考えが、特に幹部層の間で強かった。それが、コロナ禍で意識転換せざるを得なくなったのも大きな成果だという。

例えば、「ダイワ」のブランド名で釣り具などを総合的に扱っているグローブライドは、「DAIWA PIER39」というアパレルブランドを手がけているが、これはビームスが、企画から販促まで、まさにトータルで行ったもの。こういったBtoBビジネスは、今後もどんどん広げていくという。

「うちの業界から見たら異業種の企業の方々から、『一緒に何かできないか』と声をかけていただくのですが、その数が年間で500を超えていて、ありがたいことと受け止めています」(設楽さん)

「リーダーが果たす役割は、方法論を伝えることより、モチベーションをデザインすること、いわば情熱の芽を植えていくような仕事ととらえています」。社員が活き活きと「明るさ」や「楽しさ」を生み出し、世の中に広めていく。そこに“らしさ”の根幹があるとよくわかった。

「明るく楽しい社会現象を起こす」

これからの時代、「おそらく『儲かる』という視点で言えば、AIが社長を務めた方がいいのではないでしょうか」(設楽さん)

ただビームスは、「儲かる」だけを目ざすのではなく、「明るく楽しい社会現象を起こす」を標榜していく。

ビームスと一緒に何かやりたい、そういう人が集ってくるコミュニティであってほしいという。そのためには「楽しさ」と「儲け」の絶妙なバランスをとっていく必要があり、そこはAIが務まる領域ではない。

では、「楽しさ」と「儲け」のバランスはどうとっていくのか――「完全に直感ありき。今までは7〜8割は当たっていたのですが、これが5割だったら企業として存続できなかったでしょうね(笑)」。設楽さんは「直感」と表現したが、そこには過去からの膨大な経験値や、長年にわたって鍛えられてきた分析・判断力が自ずと働いてのことだ。

設楽洋(したら よう)/1951年東京都生まれ。1975年慶應義塾大学経済学部卒業、電通入社。プロモーションディレクター・イベントプロデューサーとして数々のヒットを飛ばす。1976年「ビームス」設立に参加。1983年電通退社(撮影:尾形文繁)

「今は世界がものすごい勢いで変わっていて、これから人の価値観や暮らし方は、大きな変化を遂げていくと見ていますが、そういった時代における『ハッピー』とは何か、そこを追求していくのがビームスの“らしさ”です。国内にとどまることなく、世界に向けて広げていってほしいと考えています」という言葉が力強く響いた。

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