元官僚46歳「夏に稼ぐスキー場」を生んだ逆転人生 「100のテレビ番組で紹介」仕掛け人の大胆発想

[Publisher] 東洋経済新報社

この記事は、東洋経済新報社『東洋経済オンライン/執筆:和田寛』(初出日:2022年11月11日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。


東大を卒業後、官僚として働き始めた筆者は、なぜ白馬のスキー場経営に携わるようになったのでしょうか?(写真:筆者提供)

日本のスキー人口が激減、インバウンドも途絶え、多くのスキー場が青色吐息となっている。そんな中、来場者数が過去最多を更新し続けている話題のスキー場をご存じだろうか? 長野県白馬にある「白馬岩岳マウンテンリゾート」だ。

「土地が本来持っている『隠れた資産』を発見し、磨き上げる。ただそれだけを考え、さまざまなアイデアを実現してきました。その結果、わずか4年で100のテレビ番組で紹介していただき、スキー場なのに夏の来場者数が8倍になって、冬の来場者数を超えるという結果につながったのです」

そう語るのが、白馬岩岳マウンテンリゾート代表の和田寛氏だ。ずば抜けたアイデアを次々と導入し、「夏に稼ぐスキー場」を生み出した和田氏。その初の著書『スキー場は夏に儲けろ――誰も気づいていない「逆転ヒット」の法則』が刊行された。ここでは「100のテレビ番組で紹介される」という実績をあげた和田氏の発想の根源はどこにあるか、解説してもらった。

スキー場は夏に儲けろ!―― 誰も気づいていない「逆転ヒット」の法則』(東洋経済新報社)

みなさん、「夏のスキー場」と聞くと、どういうイメージをお持ちでしょうか?

誰もいない草ぼうぼうの斜面に、古びたリフトの支柱が寂しく立ち並ぶ。街も閑散としていて、冬には賑わう民宿や食堂も営業は休止しており、シャッターが下りたまま。聞こえるのは虫と蛙の鳴き声のみ。

このような寂しい景色を想像される方が多いかと思います。もしかしたら、夏のスキー場に足を運ぼうと思ったこともないので、そもそも「イメージすらない」という方が大半かもしれません。

実際、国内には現在400~500ほどのスキー場があると言われていますが、おそらく過半のスキー場は夏の営業をほとんどせず、上述のような寂しい光景が広がっているはずです。

私が経営に携わる「白馬岩岳マウンテンリゾート」(長野県北安曇郡白馬村)も、つい5~6年前まではそのような状態でした。毎年7~8月にゆり園を展開し、2万人前後のお客さんを集めていましたが、それ以外のグリーンシーズン(4~11月)はまさに閑散期そのもの。お客さんの姿を見かけることはほぼありませんでした。

転機は2016年にさかのぼります。

2014~2015冬シーズン(2014年12月~2015年3月)、2015~2016冬シーズンと2年連続の記録的な小雪のシーズンを過ごし、2010年以降は安定的に12万人程度だった来場者数も、7万人台まで激減してしまいました。一気に赤字へ転落し、スキー場として生き残っていけるのかの大ピンチがやってきたのです。

この苦境は一過性とは限らないように思われました。今後も小雪のシーズンがやってくる可能性は高く(実際、2019~2020冬シーズンは以前に輪をかけて極端な小雪のシーズンとなりました)、来場者数を底支えしてくれている海外からのスキーヤーも世界情勢が変われば来なくなるリスクもある(実際、2020年からのコロナ禍でこの危惧は現実のものとなりました)。

国内のスキーヤーの数が激減している中、スキー、スノーボードのメイン客層である若者の数が減ることも明白です。白馬岩岳は白馬の中でも標高が低く、スノーシーズンが短いというハンデもありました。

どう考えても、冬の数カ月で稼ぎ、夏は開店休業のビジネスモデルには、早晩限界が来るようにしか思えません。そこで私たちは、事業モデルの転換を決意します。

アイデアを矢継ぎ早に投入し「夏に稼ぐスキー場」誕生

2016年に戦略の転換を図って以降、白馬岩岳では2017年のMTBパーク開業を手始めに、立て続けにグリーンシーズンの魅力増強に向けた取り組みを続けています。

2018年 有名パン店を誘致し100ものテレビ番組で紹介された展望施設「白馬マウンテンハーバー」
2019年 Snow Peakが監修した快適アウトドア空間「岩岳グリーンパーク」
2020年 最大5時間待ちの大ヒットとなった大型ブランコ「ヤッホー!スウィング」
2021年 国内初のドイツ製アクティビティ「マウンテンカート」
2022年 表参道や京都嵐山で大人気のスコーン店が出店し1日の最多来場数を更新した展望エリア「白馬ヒトトキノモリ」

ほかにもさまざまな取り組みを同時多発的に仕掛けた結果、2016年には2万5000人程度だったグリーンシーズン(4~11月)のお客様の数が、2021年には13万4000人を突破しました。2022年には19万人に迫る勢いです。

これは冬のシーズンの来場者数(コロナ禍の影響もあった2021~2022ウィンターシーズンは9万9000人)を大きく超える数です。「冬よりも夏に稼ぐスキー場」への転換に成功し、通年で見ても、しっかりとした黒字を残せるようになったのです。

「隠れた資産」を見つけ出し、磨き上げる

これらの取り組みには、実は通底する考え方がありました。それが「隠れた資産を見つけ出し、磨き上げること」です。

「隠れた資産」とは、簡単に言えば、「磨けばその会社や地域にとって宝物になるのに、何らかの理由で埋もれたままになっているもの」です。すでにそこに存在しているものを活用するので、ゼロベースで何かをつくるよりもコストも時間も少なくてすみます。お客さんから見ても「なぜその場所で、そのビジネスをやるのか」が伝わりやすくなるため、口コミも起こりやすく、メディアにも取り上げてもらいやすくなります

このため、本当にポテンシャルのある「隠れた資産」を目利きすることができれば、成功確率は格段に高まるのです。

例えば、私たちの看板施設である「白馬マウンテンハーバー」は、白馬岩岳の山頂から見た白馬三山を望む西側の景色と、そこに面した崖状の地形といった地理的な好条件、そして山頂という厳しい条件でも飲食店を運営できる能力など、これまでグリーンシーズンに活用されきっていなかった資産がベースになっており、まさにこの「隠れた資産」の活用例なのです。

白馬岩岳のV字回復の契機となった展望施設「マウンテンハーバー」。開業後、わずか4年で100ものテレビ番組で紹介された。動画はshiho_zekkeiさんのTikTokより

白馬マウンテンハーバーは、開業した2018年10月からの1カ月間で、それまでのグリーンシーズントータルの来場者数を超える3万人を集客する結果につながりました。また、これまでに合計100ものテレビ番組で取り上げてもらいました。「隠れた資産」を活用することには、これほどの効果があるのです。

官僚からコンサル、そして白馬へ

実はこの「『隠れた資産』を有効活用せよ」というのは、私の前職である外資系コンサル会社ベイン・アンド・カンパニーで教わった戦略論の核心的要素の1つでした。

私はもともと、長野県とも白馬とも何の縁もない人間です。生まれも育ちも東京でしたが、旅行で訪れる地方の自然、田舎の風景が大好きで、いつしか「将来は日本の田舎を活性化する仕事につきたい」と思うようになっていました。

このため大学を卒業後、農林水産省のいわゆるキャリア官僚として社会人生活をスタートしました。しかし、いろいろと田舎の現状を知るにつれ、「農林水産業をはじめとした『ビジネス』が元気にならなければ、田舎は元気にならない」ことを痛感します。

しかし、法令や規則の整備、予算要求資料の作成、国会答弁の取りまとめといった「お役所仕事」をしているだけでは、ビジネスの知見は得られません。そこで、役人生活に8年で見切りをつけ、まずはビジネスの知見を深めることを目指して、戦略コンサルティング・ファームで働くことを決意しました。

転職先として選んだベイン・アンド・カンパニーは、世界的にも「三大戦略コンサル」の一角をなすアメリカ系の会社でした。

ベインでの業務は深夜残業も当たりまえ、結果につながる提案ができなければ無能の烙印を押される、といった非常にプレッシャーの強い毎日でしたが、「ビジネスの知見」をグングン吸収できている実感がありました。さらに自分の提案がクライアントの成果に直結するようになると、目の前の仕事がおもしろくなり、どんどんのめりこんでいきました。

一方、「田舎を元気にする」という当初の目標に関係する仕事はゼロになってしまいました。その反動で冬はスキー場に、夏は登山にと、毎週末のように出かけるようになるなかで、白馬と出会いました。

国内トップクラスに入るスキー場の規模。こぢんまりした雰囲気の良い街並みの裏に広がる北アルプスの圧倒的な山岳景観。「山岳リゾートとしてここよりもポテンシャルが高い場所は、国内にはないのではないか」と感じるようになります。

一方、当時の白馬では、徐々に海外からのスキーヤーの数が増え始めていたものの、日本人の来場者は年々減っていました。岩岳にあった民宿に泊まらせてもらったときも、宿のおばあちゃんが「最近どんどん街に元気がなくなる」と嘆いていました。

もしかしたら、遠く海外からやってくる人には見えている「宝物」が、身近にいるはずの日本人には気づかれなくなってしまったのではないか。このまま放っておけば、その宝物は老朽化し、やがて消え去ってしまうのではないか。圧倒的なポテンシャルを持つ白馬の魅力を国内外のより多くの人に知ってもらいたい。中央官庁やコンサルで培った経験、スキルを活用できる場も多いはず。

そう考えると居てもたってもいられず、7年近いコンサル生活に終止符を打ち、2014年に、地縁も血縁もなかった白馬に移住しました。スキー場運営会社である日本スキー場開発に入社し、白馬でスキー場を運営していた子会社で働き始めます。

スキー場が置かれていた厳しい現実

白馬に来て早々、スキー場業界の置かれていた厳しい現状を目の当たりにします。そもそも国内スキー市場は、1990年代のピークから比べると参加率は3分の1程度に落ち込み、1年間の平均参加回数も約6回から約4回に減少していました。

加えて、少子高齢化が進むなかで、スキー参加率が高い10代から40代の若年・壮年層の人口は他の世代よりも大きく減少することが見込まれています。市場縮小が続く危険性が極めて高い状況なのです。

一方、事業を営むうえで必須となるリフトやレストハウスなど施設の老朽化は年々進んでいます。すべてのリフトの平均年齢も35歳を超え、そろそろ更新に向けた投資が不可避なステージです。しかし、スキー場の稼ぎと投資の大きさを考えると、簡単な話ではありません。

さらには、そんな事業環境に追い打ちをかけるように、小雪、新型コロナの流行によるインバウンドの消滅など、事業環境の厳しさは年々増す一方です。

本連載では、こうしたキャリアを歩んできた私が、逆境をどのように跳ねのけ、「夏に稼ぐスキー場」として白馬岩岳の復活に貢献したのか、何回かに分けてご説明させていただきたいと思います。

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