紀の国屋「廃業→再スタート」の知られざる経緯 カレーパン作ろうとしていた会社が引き継いだ

[Publisher] 東洋経済新報社 

この記事は、東洋経済新報社『東洋経済オンライン/執筆:阿古真理』(初出日:2022年8月26日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。 


紀の国屋の人気商品だった「相国最中」を引き継いだ最中(撮影:今 祥雄)

東京・武蔵村山市の和菓子メーカー、紀の国屋が自己破産申請をしてからわずか10日後、曽我部岩雄社長から直接指導を受けた中核の職人たちが立ち上がり、新ブランド「匠紀の国屋」を掲げて再スタートした。6月3日に国分寺店と東大和店、7月1日に武蔵村山店を開業している。

廃業を知ったファンから惜しむ声が続出しただけあって、取材に訪れたのは平日の夕方だったにもかかわらず、入れ代わり立ち代わり客が訪れていた。開業から1カ月は、店の前に懐かしい味を求める人々の行列ができたという。

看板商品を「継承」

看板商品は、「最中」220円と「あわ大福」290円、どら焼きの「こじゅう」180円。そのうち消費期限が1日のあわ大福は、3時間ほどで売り切れてしまうことも多い。常連客からは、「これじゃなきゃイヤだ」「あのあんこの味がよかった」といった声が上がる。

「あわ大福」は、3時間で売り切れることもある人気商品だ(撮影:今 祥雄)

紀の国屋はいったいなぜ、こんなハイスピードで復活できたのか。和菓子屋に限らず、地元で愛されているが、閉店や廃業を余儀なくされる中小企業や個人店は後を絶たない。紀の国屋の復活劇からは、こうした店が学べることがあるかもしれない。

今回、紀の国屋を"継承"したのは、スイーツ類のインターネット販売事業を行うアイ・スイーツ。同社は再生専門コンサルティング、アイ・コンサルティングの子会社で、共同経営の稲垣富之氏は2014年頃から6年ほど税務顧問として紀の国屋にかかわり、経営が厳しいことを知っていた。

実は今回の再スタートは、稲垣氏が紀の国屋の職人たちから相談を受けたことで始まっている。

稲垣氏らはもともと、和菓子のネット通販のほか、リアル店舗で流行中のカレーパンを扱う事業を始めようと、昨年にアイ・スイーツを設立。同社は東京・湯島にあり、「周りには老舗和菓子屋が多いのですが、基本的に昔のままの経営で、ネットで売ればもっと売れるんじゃないか、と思う店が多いんです。うちで替わりに売れば、と思ったのが立ち上げの理由です」と、共同経営者の伊藤友幸氏が説明する。

再スタートまでの経緯はこうだ。紀の国屋が廃業してすぐ、職人たちが稲垣氏らのもとへ来た。

「彼らから、職人として尊敬する元社長の真心も引き継ぐことが、真の意味で紀の国屋を引き継いだことになる。そのためにはほかの会社で雇ってもらうのではなく、自分たちで会社をやる必要がある、と訴えられひどく感動しました」と稲垣氏。

カレーパン用の工場を和菓子工場に

ブランド立ち上げとお金集めを同時に行い、事業をスタート。もともと和菓子の倉庫やカレーパン製造で使うために武蔵村山で借りていた工場を紀の国屋の和菓子製造工場にしたという。

約20店舗を展開していた紀の国屋は、200人の従業員を正社員として雇っていたことから、今回3店を開いたアイ・スイーツでも、職人と店員の半数ずつ約20人を正社員として雇用した。

稲垣氏は、紀の国屋の税務顧問時代、経営が厳しい要因は人件費とみていた。経営が傾いたもともとの原因は、金利が高かった1993年に拡大を求めて工場を移転した金融負債。顧客の高齢化もあって売り上げ減少傾向が続く中、原料費の高騰、さらにコロナ禍での手土産需要の減少がダメ押しになって経営破綻した。

紀の国屋が正社員として雇用していた理由を、稲垣氏は「多摩地域は車社会で通勤が不便なため、パートだと人が集まらないんです。また、店舗の運営もマニュアルはなく、各店長の裁量で運営するため、せっかく教えたのに辞められたら困る、という考えもあったみたいです」と説明する。

配達や、顧客が商品を選んで組み合わせ贈答品にするサービスもあったことが、客の声でわかった。煩雑ではあるが、きめ細かなサービスが愛される理由でもあった。

継承と同時に商品も刷新

和菓子屋ではめずらしくないが、工場でも包装以外の工程がほぼ手作りで、技術は口伝で継承されていた。そのために職人も人手が必要だった。一方で、機械頼みではなかったことが幸いし、紀の国屋の工場が管財人に押さえられていても、中古の鍋や釜などを購入し再スタートを切ることができた。

和菓子事業を始めるにあたり、アイ・スイーツでは試食アンケート調査を行い、商品を大幅に刷新。例えば、看板商品を、現代人の好みに合わせて小ぶりにしている。あわ大福の場合、あんこが100グラムだったところ75グラムにした。

「以前は、おなかいっぱい食べられる和菓子でしたが、今はそういうものだと大きすぎて躊躇されてしまいます。お客さんからは『ちょっと小さくなったけれど、私はこれのほうが好き』『食べやすい』と言われます」と、伊藤氏。最中が小ぶりになったことで、皮の味も伝わりやすくなったという。


東京・府中にある匠紀の国屋の店舗(撮影:今 祥雄)

最中はもともと「相国最中」という名前だったが、商標権が管財人の手にあるため、同じ材料で作る汎用品の最中の皮を、以前と同じ皮の専門業者に発注している。また、「テレビでカレーの製造会社の人が『水が大事』と言っているのを見たので、予定にはなかったんですが、業務用の高品質の浄水器を入れました。作り方は変えていないんですが、お客さんから『おいしくなった』と言われます」と稲垣氏。

さらに、新しい試みをいくつか始めている。

その1つが、アイ・スイーツ立ち上げ時の構想にあった、和菓子のセレクトショップとしての機能を店舗に持たせること。地方の銘菓を3カ月ごとに入れ替え、数種類ずつ販売する。9月までは松山の代表的な銘菓、一六タルトや岡山のきびだんごといった中四国の和菓子を扱っている。


店舗では地方の銘菓なども扱っている(撮影:今 祥雄)

次は九州の予定だ。選択の基準は、利益が取れること、東京の人が魅力に感じることが条件だが、和菓子屋のガードは固く、「10中7、8は断られます」と伊藤氏は語る。

AIを使った新商品の開発にも意欲的

AIを使って予測した、流行を取り入れた新商品、健康を意識した商品なども販売する予定だ。店内には、カメラマンが撮影した職人たちの写真も展示。パティシエには有名人がたくさんいるが、和菓子職人にはほとんどいない。もっと和菓子職人も前に出したい、と考えたことが背景にある。

さらに、近いエリアの鴨居の学童保育と通信制高校とのコラボレーションを意図し、子どもたちに和菓子を作る工程を見せたり、売り方を考えさせる「社長塾」を企画している。

「若者の和菓子離れは、今回の廃業報道でもかなり言われていました。子どもたちからは、めがね饅頭など変わったアイデアが結構出てくるんです。将来的には、彼らが作った商品も店舗に置こうと考えています。そうすることで、お孫さん世代にも和菓子の魅力が伝わる。子どもや若者の視点は、もっと必要だと思っています」と稲垣氏は語る。

匠紀の国屋の和菓子は、それぞれ工夫が凝らされている。最中にはもちが入っているし、あわ大福は粟の味がアクセントになる。こじゅうは、黒糖のカステラ生地で挟まれ味わい深い。あんこは素朴な味わいだが重くはない。

「面白いのは、それぞれにファンがついていて、『私はこれが好き』と買いに来ることです。稲垣はあわ大福、私はこじゅうが好きなんです」と伊藤氏が言えば、稲垣氏は「昔からのファンは最中が好きで、OLさんなど中堅世代はあわ大福、若者はこじゅうが好きです」と説明する。

稲垣氏は、「食べ物にも"品"というものがある。おいしいというのは、人間を動かすんだな」と述懐する。実はこれら看板商品の魅力こそ、ブランド再生の最大の原動力かもしれない。

「どのように残したいか」を考える

3~5人いた店員を2人に絞るなど、人件費の削減を試み、店舗数もなるべく増やさない方針で経営するというアイ・スイーツ。廃業や閉店をした店の味を残していくには、「厳しい現実を前にしても、どのように残したいかを、残す側が考えることだと思います。人手に渡ってもいいからブランドを残したいのか、あるいは自分のモノだから終わりにするのか。今回のように、そこにいた人間に『想い』を託すのか。継承の芯の部分を大事にすることだと思います」(稲垣氏)。


レジ横に並ぶ人気商品。世代によって、人気商品は異なるという(撮影:今 祥雄)

どうやら、1948年創業の紀の国屋は、よくも悪くも古い体質のまま令和の時代まで持ちこたえたことがわかる。それは、マニュアル化がいっさいなく、従業員が正社員で、お腹いっぱいになるほど大きな和菓子を作ってきたことだ。そうした企業が希少だからこそ、紀の国屋は多摩地区を代表する和菓子屋として愛されてきたのだろう。

客観的にそうした体質を見れば、効率化の余地は多そうだが、下手に効率化すると職人たちが言う「真心」はなくなる。そして、再スタートを切ることはなかったかもしれない。格差拡大の要因である非正規の雇用が、批判的にみられる時代にもなっている。

また、別の流れで、埼玉県熊谷市の老舗和菓子店、梅林堂が、地域の和菓子文化を守るために7月1日に紀の国屋の4店を引き継いで梅林堂とすることを発表し、紀の国屋の元社員を7月9日時点で23人を採用している。

アイ・スイーツは、いかに紀の国屋の魅力を残しつつ再生させるかを試みている。時代に合わせた商品開発や、若い世代の取り込みなどの試みも、成功すれば和菓子の新しい可能性を開くだろう。

伝統と新機軸のバランスが重要に

近年、「ネオ和菓子」と呼ばれる洋菓子の要素を盛り込んだ新しい和菓子が、次々と誕生している。和菓子の世界は、急速にアップデートが進んでいる。同社も、そうした流れにのることができるかもしれない。


店内の壁には職人の写真が(撮影:今 祥雄)

しかし、新しいだけでは和菓子の本来の形を見失いかねない。アイ・スイーツが今回、職人に光を当てようとしていることは、その意味で重要だ。和菓子は職人が高度で繊細な技術を用い、季節を表現するなどの魅力を持つ。

地域性も日本の文化の1つである。その技術を紹介することは、和菓子文化の再発見につながるかもしれない。いかに伝統を守りつつ、新機軸を打ち出していくか。匠紀の国屋と和菓子文化のこの先を見守りたい。

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