子ども服老舗を「ロックに再建」、異色5代目の凄み 朝ドラのモデルにもなった「ファミリア」の今

[Publisher] 東洋経済新報社

この記事は、東洋経済新報社『東洋経済オンライン/執筆:川島蓉子』(初出日:2022年6月24日)より、アマナのパブリッシャーネットワークを通じてライセンスされたものです。ライセンスに関するお問い合わせは、licensed_content@amana.jpにお願いいたします。 


老舗子ども服「ファミリア」の5代目社長の岡崎忠彦さん。斬新な発想で新しい試みを次々と行っている(写真:ヒラオカスタジオ)

企業を取り巻く環境が激変する中、経営の大きなよりどころとなるのが、その企業の個性や独自性といった、いわゆる「らしさ」です。ただ、その企業の「らしさ」は感覚的に養われていることが多く、実は社員でも言葉にして説明するのが難しいケースがあります。

いったい「らしさ」とは何なのか、それをどうやって担保しているのか。ブランドビジネスに精通するジャーナリストの川島蓉子さんが迫る連載の第4回は、皇室愛用の子ども服ブランドで、創業者がNHK連続テレビ小説「べっぴんさん」の主人公のモデルにもなった「ファミリア」です。

ファミリアは神戸発の子ども服の老舗であり、品のいいウェアやグッズを手がけている。皇室でも愛用され、良家の子女が身に着ける上質なものをそろえている――そういう“らしさ”を築いてきた。

子ども服を取り巻く環境をざっと見ると、少子化が進んでいること、格差が広がっていることなどを背景に、ラグジュアリーブランドの子ども服が人気を集める一方、ファストファッションの子ども服も、大人服と連動して好調な推移を見せている。

他方、一時は人気を博していた「マザウェイズ」や「グランドスラム」の倒産をはじめ、百貨店の子ども服売り場に軒を連ねているブランド群から、ひと昔前の勢いは感じ取れない。

新しい試みを次々に展開する5代目

そんな中にあって、「ファミリア」も、似たような道を歩んでいるように見えた。ラグジュアリーブランドほどの高額ラインではなく、ファストファッションのように絶対価格の安さを売りにもしていない。

大人のファッショントレンドを取り入れたアヴァンギャルドでもなく、昔ながらの子ども服に則ったコンサバファッションでもない。上品なもの作りを行い、相応の価格の商品を揃え、ファンの気持ちをつかんでいると感じてきた。

そんな折、「5代目社長のユニークな視点が、ファミリアを進化させている」という話を聞き、社長を務める岡崎忠彦さんを紹介いただく機会があった。アメリカのデザイン事務所でグラフィックデザイナーとして活躍していたユニークな経歴の持ち主だ。

11年前にファミリアを受け継ぎ、カフェやクリニック、レストランを併設した本店を作る、保育園事業を始める、本社を移転してユニークなオフィスを作るなど、新しい試みを次々と行ってきた。

老舗ブランドとしての伝承と未来に向けての挑戦、“らしさ”の継承などについて話を聞いた。


ファミリアの社内に飾ってある子ども服(写真:ヒラオカスタジオ)

長髪を頭の後ろで結び、ラフなカジュアルウェアにジュエリーを身に着けた岡崎さんは、伝統と格式のある会社の社長には見えない。ミュージシャンのようだと思って聞いてみたら、「今もロックバンドを組んで活動していて、ボーカルとギターを担当しています」というではないか。

型破りな経営トップだが、話を聞いていくと、原理原則を踏まえながら、未来に向けてさまざまな挑戦をしているとわかる。「バブル化してしまった会社をどうするかというところから、僕の社長としての仕事はスタートしたのです」と赤裸々な話が始まった。

1950年、岡崎さんの祖母に当たる坂野惇子氏をはじめとする4人の女性が立ち上げたのがファミリアだ。「子どものためにより良いものを」「お母さんに愛されるベビー用品のパイオニアになる」という志を抱き、“家族のあたたかさ”を表現しようと「ファミリア」という社名にした。女性が立ち上げたベンチャー企業であり、時代に先駆けた存在でもあったのだ。

日本の高度経済成長とアパレル業界の成長は軌を一にしている。そしてファミリアも例外ではない。全国にわたる百貨店に売り場を構えて拡大成長を遂げていったのだ。

バブル崩壊後に売り上げが落ち、在庫も膨らんだ

だが、1990年代に入ると百貨店の売り上げが低迷し始め、業績に陰りが見えてきた。

「バブルがはじけて売り上げが落ち、在庫が増えて業績は悪化。当時のファミリアは社員の数も売り場も、まさにバブルと言っていい状況でした」

岡崎さんは、子どものときから、創業者である祖母に連れられ、会社によく遊びに行っていた。もの作りしている現場を見聞きし、「大きくなったらファミリアに入りたい」と思っていたが、祖母から「お前だけは会社に入れないよ」と言われていたそう。だから、「絶対にファッション以外の仕事に就こうと思っていました(笑)。クリエイティブなもの作りを目の当たりにして育った影響もあったのか、クリエイターになりたいと考えていたのです」。

大学を卒業した後、カリフォルニアの美術大学でデザインを学び、グラフィックデザイナーの八木保氏の事務所で、デザイナーを務めていた。が、父から「家業のデザインを手伝ってほしい」と請われて2003年にファミリアのデザイン課長になり、アメリカと日本を行ったり来たりしながら仕事をしていたのだ。

「中に入って実状を見聞きし、ダメになった理由が徐々にわかってきたのです」


岡崎忠彦(おかざき・ただひこ)/1969年生まれ。甲南大学経済学部卒業後、カリフォルニアアートカレッジ卒業。Tamotsu Yagi Designを経て、2003年にファミリアに入社。2011年より現職(写真:ヒラオカスタジオ)

経営は悪化の一途で、80億円以上の借金があり、100人ほどのリストラをしなければ立ち行かない状況だった。

「店は多すぎるし組織もぐちゃぐちゃ、オフィスも雑然としていて汚い。ダブルのスーツを着たベテラン社員たちが、子ども服の話をしている。世の中の潮流や、ライフスタイルの変化を知ろうともせず、前年比の売り上げに話が終始していて、未来に向けての話がまったくなされていない。しかも、創業者である祖母がいなくなってから、男子型の会社になってしまっていた。抜本的に変えなければと思ったのです」

父が急逝し、2011年、岡崎さんは5代目の社長としてファミリアを率いることになった。本当はアメリカに帰ってデザイナーの仕事を続けたかったというが、ファミリアという会社も社員も好きだから、自分がやるしかないと、「ロックンロールで社長を引き受けることにした」。

そう聞くと「ちょっとかっこよすぎる」と感じるが、負の遺産を抱えた会社を創業家として継いだのだから重い責には違いない。

いいときは悪い方向から、悪いときはいい方向から見る

引き継いだ時点で、ファミリアはすでに創業60年を越えていた。問題は山積しているのに、抜本的な改革をはかって引っ張る人がいないので、停滞感が強くなっていたという。

「成長期、発展期を経て、停滞期に入っていたのだと思います」

顧客層の年齢が高くなっていて、売り上げはピーク時の半分にまで落ちていた。

「社員からすれば、ファミリーのボンボンで、アメリカでデザイナーをやっていた人が急に社長になった。何が何だかわけがわからず、みんな不安だったと思います(笑)」

そう聞けば、そのとおりかもしれないと想像が及ぶ。

アメリカでデザイナーとして仕事していたことは、ファミリアを立て直すにあたって大きく役立ったという。さまざまな分野のすぐれたクリエイターと仕事をする中で、自分にしかできない発想を実行していくこと、そのために、ものごとをさまざまな角度から見る癖がついていた。「いいときは悪い方向から見ること、悪いときはいい方向から見ることといった訓練が効きました」。

では、どう改革をはかっていったのか。

「まずは一度、全部リセットしてゼロから考えることにしました。そのために、社内で2つの言葉を使うことを禁止したのです」

1つは「ファミリアらしさ」、もう1つは「前年比」だった。なぜなのか。その2つの言葉が、新しいことをやらない“言い訳=ブレーキ”になっていたからだという。

「例えば『それってファミリアらしくない』とか、「とりあえず前年比をクリアしているので無理しなくても」とか、問題の本質に向き合って新しいことに挑戦するのを避ける防波堤として、「ファミリアらしさ」や「前年比」が使われていたのだ。

岡崎さんは「今までの『ファミリアらしさ』や過去の文脈の延長にある『前年比』という考え方を捨て、新しい『ファミリアらしさ』を作らねばならない。だからこの2つの言葉を使うのはやめよう」と伝え続けた。

「会社にDNAを作っていくのが僕の仕事」

老舗ブランドの取材をしていると、伝統を大切にしながら革新を続けていく。「伝統は革新の連続」といった話をよく耳にする。和菓子の老舗である虎屋で「うちは革新に振り切るくらいの覚悟がないと、ただでさえ重い伝統に引っ張られてしまう」という話を聞いたことがある。

“らしさ”は時に、変化に対する錘(おもり)になってしまう。岡崎さんが言うように、「全部リセットしてゼロから考える」くらいの思い切りが、老舗が抜本的な改革をはかるためには必要なのだろう。

ただ、岡崎さんは伝統を否定しているわけではない。そこまで振り切ったうえで、会社に残っているアーカイブをもう一度観察し、未来に向けて有用と思えるものの活用もしている。

オフィスの入り口に飾ってある「one smile fits all」という言葉と創業者たちの写真もその1つ。ファミリアという企業のDNAを創ってきた人たちの笑顔が、会社の精神を伝えている。もともと社長室に飾ってあったものを、社員の目に入るところに置くことにしたという。


オフィスの入り口に飾ってある「one smile fits all」という言葉と創業者たちの写真(写真:ヒラオカスタジオ)

「創業家だからDNAを持っているでしょうとよく言われるのですが、僕がDNAを持っているのではなく、会社にDNAがなければならない。それを作っていくのが僕の仕事なのです」

そして、これまでの歴史を見直して再定義し、未来に向けての理念を言葉化しようということから、「子どもの可能性をクリエイトする」を掲げることにした。

「“子ども服を売る企業”では、やれることは限られてきますが、“子どもの可能性をクリエイトする企業”なら、さまざまな可能性が広がってくると思うのです」

例えば2018年に移転オープンした神戸本店には、小児科を備えた「ファミリアメディカルクリニック」や、ファミリアが考える「食育」の提案ということで、親と子どもがゆったりとコミュニケーションできるレストラン「color of time」、プレママ(妊娠が初めての女性)と就学前の子どもに向けた“マナビ”の場「LABO」、託児ルームの「kids cubby」など、子どもの暮らしを取り巻くさまざまな機能が備わっている。


2018年に移転オープンしたファミリア本店(写真:ヒラオカスタジオ)

また、「ファミリアメソッド」をもとにした「familiar PRESCHOOL」という認可外保育園を、東京・白金台で運営している。「子どもの可能性をクリエイトする」という理念のもと、実際の事業を多様化していっているのだ。

本社ビルも移転し、オープンなオフィスに

由緒ある本社ビルの移転にも踏み切った。

「アメリカで“オフィスはプレゼンテーションの場”ととらえていたので、事務所が汚いのが気になっていました」

日本の大半の企業がそうであるように、いくつかの島に机が配されていて、部長席、課長席が上座にあって、バックヤードは書類が山積みになっている。このオフィスのありようを変えようと考えた。2016年、自社ビルからオフィスビルの2フロアに縮小移転したのだ。

引っ越ししたオフィスは、さえぎるものがほとんどないフラットな空間に、整然とデスクが並んでいる

「同じ思いを持っている社員同士のコミュニケーションを妨げないよう、デスクはすべて高さを揃え、パーティションなどは排しました」

個室やクローズドな空間をほぼなくし、社長室ではなく、オープンなオフィスの一角に岡崎さんの席を設けた。

「オフィスの壁をなくすことで、組織の壁もなくなったと感じています。僕はいつもオフィスをうろうろして社員たちと話すようにしています」

壁にレトロでモダンな雰囲気のポスターが、低めの棚には陶器や人形などが――棚の中には、ビジュアルブックをはじめ、さまざまな書籍が並んでいて、誰でも手に取って見ることができる。

こういうものに囲まれることで、また資料として触れることで、創造的な仕事をしていく人=「クリエイトできる人」になってほしいという岡崎さんの意思の表れでもある。整然としているのに無機的な感じがせず、オフィスが生き生きと動いている空気が伝わってくる。

提供するコンテンツをビジュアルで図式化

特筆したいのは、オフィスの入り口にある「ビジュアルプラットフォーム」と呼ばれているものだ。真っ白な壁に、A4サイズの紙に印刷された写真が縦横にわたって数十枚、貼りだされている。

横軸は1月、2月といった時系列、縦軸は、子ども服、レストラン、教育で提供するカリキュラムなど、今のファミリアが手がけている各分野で展開されているもの。いわば、ファミリアが提供するコンテンツをビジュアルで図式化したものだ。このコンテンツの制作には、社員の大半がかかわっているという。


社内にある「ビジュアルプラットフォーム」(写真:ヒラオカスタジオ)

半年分がひと目で見渡せるので、会社の指針と実行されていくものとを、社員が見て感じ、理解できるようになっている。共有化であれば、ネットでいつでも見られるようにする手もあるのだが、岡崎さんは、あえて壁に貼り出す形式にこだわった。

「経理も営業もデザイナーも、誰もがいつでも視野に入っていることが、会社が向かっている先を体感するのに役立つと判断したのです」

これらの取り組みは「毎日の地道な積み重ね」であり、立て直しは「V字回復ではなく、10年かかっている」と岡崎さんは言う。

赤字だった業績も、この3年で、営業利益率が2桁近くに改善してきた。今は営業利益率15%を1つの目標に、それを継続させながら、質を上げていくことを目指している。

会社の向かう方向が明快で、そこに求心力がついてくれば、ブランドは強くなっていく。「まだまだこれから」と岡崎さんは言うが、ここ10年続けてきた研鑽によって、明るい未来を築く風土が着実に根付いている。

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